平鍋さん、こんにちは。
メルロポンティとかソシュールは聞いたことがある程度に
しか知らない、きむらです。
>なるほど.媒体,おもしろい.
>
>それとも現代哲学的に,「身体知」と「記号知」はどうかな.
うんうん。そうですね。
「記号知」と組み合わせるなら「実在知」なんてどうでしょう。
語呂合わせ系なら、「身体知」と「媒体知」のほかにも
「混沌知」と「整頓知」
とらえようとしても逃げてしまう知と、毎日つきあい共生する
知というイメージで
「野生知」と「飼育知」
年月と手間をかけて醸し出したという意味で
「種籾知」と「吟醸知」
人の目には見えないけれど、心と体は知っている。
知っているとはいえ、比較的つかみどころがないまま、
言葉にもしきれないまま、霧がかかったようにもやもや
していて、えもいわれぬ、絵にもかけない知。
一部の人だけが知っていたり使える知。
そんな知識や知恵が「身体知」や「暗黙知」という言葉で
呼ぼうとしているものですよね。
それが、具体的に文字や絵や音声や物としての表現形式
と表現の場を与えられると、「形式知」とか「媒体知」という
言葉で呼ぼうとしているものになるんですよね。
その変換過程は、街角をぶらぶら歩いていた少女が突然
スカウトされてトレーニングを受け、芸能界デビューを果たす
ようなプロセスと言ってもいいでしょうか。