濱井です。
2003/03/12 16:17:53 +0900に石橋 和洋さんが送られた
メールに関する返信です。
>・与えられたもので目的を達成する -->戦術的発想
>・目的達成の為に必要なものを得る -->戦略的発想
>
>と定義されていますが、では、将棋盤上には戦略は存在しないという事で
>間違いないのですね?
端的に言えばそうなりますね。将棋盤上の戦法に相当するのは、戦略ではなく
[XP-jp:04032]で言及している「作戦」の方だと思います。
>> 間違った知識が掃いて捨てるほどはびこっているので、個々の細かいレベル
>> から見ていると全体をきちんと見ることができません。やるべきこととされて
>> いたことが、数段上のレベルから見ると無意味だったり、有害だったりする
>> ことはよくあることです。
>>
>> 「与えられたもの」が不適切であることや「目的」が本来の目的と異なること
>> は、残念ながらよくあることです。
>
>
>optimizationの過程が「最適」を導き出すのでは決してないのは当然の事だと思
>うのですが....無論それが誤りのこともある訳でして...(TT)
与えられたコンテキストが適切かどうか疑ってみるべきです。
「地球が宇宙の中心である」というコンテキストに従って、ほとんど無意味な
努力を重ねた、天動説を信じた天文学者の二の舞を演じたくはありません。
少なくとも方向が正しくなければ無駄な努力、有害な努力になるおそれが
あります。もちろん、自分自身の判断が正しいとは限りませんが、自分の判断
なら、まだ納得できるでしょう。
>ある一局の将棋というコンテキストにおいて、
>
><私の案>
>・駒の動きが戦術である。
>・一局の方針が戦略である。
>(局の前の情報収集、棋力UPの修行は、上位コンテキストに属する)
>
><濱井さんの案>
>・一局の方針は戦術である。
>・局の前の情報収集、棋力UPの修行が戦略である。
>
>つまり、「ゼロ知識のシステム」には戦略は存在しない
>(戦略はシステム外にのみ存在し、外部とのIOがないシステムには戦略はない。)
>というご意見であると思いますが、間違いありませんか?
「公平さを旨とする将棋や囲碁の考え方は、不公平さを作り出す軍事や
ビジネスの戦略と相容れない」ということになると思います。