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Date:  Tue, 25 Feb 2003 22:33:53 +0900
From:  Hirohide Yazaki <firo@....jp>
Subject:  [XP-jp:04104] Re: 記事紹介  : ピーター・コードが語る開発プロセスの選び方
To:  extremeprogramming-jp@....jp
Message-Id:  <20030225211351.F1F3.FIRO@....jp>
In-Reply-To:  <iss.50bd.3e54b828.1d996.1@....com>
References:  <20030219001824.88CB.FIRO@....jp> <iss.50bd.3e54b828.1d996.1@....com>
X-Mail-Count: 04104

矢崎です。
リプライありがとうございます。

On Thu, 20 Feb 2003 20:12:40 +0900
HAMAI Kyoichi さん<k-hamai@....com> wrote:

k-hamai> 濱井です。
k-hamai> 2003/02/19 00:52:15 +0900にHirohide Yazakiさんが送られた
k-hamai> メールに関する返信です。
k-hamai> 
k-hamai> >firo> で、教えていただきたいのですが、元の濱井さんのご意見での「いつでも」とい
k-hamai> >firo> う部分は「成中」という文脈とどのように関係するのでしょうか。私には、正
k-hamai> >firo> 直どのようにしてそれらがつながるかが理解できません。また、理解できないと、
k-hamai> >firo> 濱井さんの「戦略は変わらない」という意見に対する私の「戦略は変わる」とい
k-hamai> >firo> う反論は、結局ズレている、ということにしかならないので、意味がないことに
k-hamai> >firo> なります。申し訳ありませんが、教えていただければ助かります。
k-hamai> >
k-hamai> >が、私の質問したいことです。よろしくお願いします。
k-hamai> 
k-hamai> 「基本戦略はいつでも同じ」というのは、基本戦略はほぼ永久不変だという
k-hamai> ことです。「成中」というのは、戦略はある程度変化するが急速には変化
k-hamai> しない、特に「成中」は変化できないということです。

ご回答ありがとうございます。ただ、私の質問の意図とずれているので、ちょっ
と整理して再質問します。

[XP-jp:04022]で私が「兵の形は水に象る」の「兵」の解釈を「戦略」としたの
に対し、[XP-jp:04023]で、濱井さんは矢崎は「戦略と戦術を混同している」そ
の根拠は

k-hamai>  ・正確な情報を得る
k-hamai>  ・充分な兵力を揃える
k-hamai>  ・充分な補給を調える
k-hamai> 
k-hamai> といった基本戦略はいつでも同じです。
k-hamai> 
k-hamai> ソフトウェア開発でも。
k-hamai> 
k-hamai>  ・優れた人材を揃える
k-hamai>  ・良いツールを揃える
k-hamai>  ・各人のやる気を引き出す
k-hamai> 
k-hamai> といった基本戦略はいつでも同じです。
k-hamai> 
k-hamai> 敵や環境に合わせ、定まった手が存在しないのは戦術だと思います。

と述べられました。ご反論の根拠は、戦略は普遍であるということで、「成中」
という意味は一切含まれていないと思っています。

で私はそれに対して[XP-jp:04025]で以下のように再反論しました。

firo> では、戦略は(たとえそれが基本戦略(ってまず基本戦略の定義をしなければな
firo> りませんが、これはまああいましにしておくとして)であっても)いつでも同じ
firo> か、というとそうではないと思います。確かに同一の戦略において、戦術を変え
firo> よ、というのは一般的な言い方ではありますが、これは戦略そのものは常に変化
firo> しないということを意味しているわけではないですよね。場合によっては戦略か
firo> ら変えなければ戦に勝てないこともあるわけです。
firo> 
firo> 孫子の言葉も、単に戦術面での変化で対応せよといっているわけではないと思い
firo> ます。状況において最適な戦略、戦術、その他いろいろなことをベストに組み立
firo> てて勝ちを手にしろ、ということではないでしょうか。

ここでも特に「成中」に限定して話をしているわけではありません。

で濱井さんは次に[XP-jp:04057]で

k-hamai> 戦略は、戦闘の基本的な枠組みとなるものなので、成中に変化させるのは、
k-hamai> まず不可能です。
k-hamai> 

と急に、突拍子もなく、突然に成中という文脈を根拠として出してこられた。

これって、あり?って感じですね。もしかしたら「論理が巧妙にすりかわってい
る?」

「水に象る」が虚実篇(実虚篇)に出てくるかということは関係なく、最初から
一貫した根拠での主張でなければ、ちょっとずるい!って僕なんか思っちゃいま
す。

実はこのやりとりで私は3つの点について関心を持っています。
1.論理の一貫性
2.「水に象る」の正しい解釈
3.戦略は状況に応じて変化するかしないか
  3.1)一般的に
  3.2)成中という文脈において

1については、先述したように、少し濱井さんの論の進め方に疑問を持っていま
す。もし、私の解釈が間違っていたら(濱井さんご本人でなくてもいいので)指
摘してください。

次に2ですが、
私は[XP-jp:04025]で
firo> 「兵」を「戦略」といってしまうのは正確ではなくて、「兵」とは「戦略」も含
firo> む、より広い「戦事」全体のことと理解するのが正しいように思います。ですか
firo> ら、私が「戦略は・・・」と書いてしまったのは、意味を狭義にしすぎているた
firo> めまずかったと思います。つまり「兵」は戦略だけでなく、戦術とか、その他も
firo> ろもろを包含する概念ではないでしょうか。

と書いています。これについては「水に象る」が虚実篇に書かれているものだと
の濱井さんのご指摘の後でも考えを変えていません。

対して濱井さんは、[XP-jp:04032]にて

k-hamai> 『孫子』における「兵」とは、戦争、戦闘、軍というような意味で、戦略とか
k-hamai> 戦術とかいう意味はほとんど無いように思います。
k-hamai> 「兵の形は水に象る」とは、成中の軍隊は水のようであるべきだという
k-hamai> 意味のようです。水が高いところから低いところへ流れるように敵の強い
k-hamai> ところを避け弱いところを攻めるべきだという意味のようです。軍の陣形と
k-hamai> いったものに正しい形が決まっているわけではないという意味のようです。

として、少なくとも水に象るの「兵」は「戦略」「戦術」という意味はなく「軍
(隊)の陣形」という意味であるとして、私の解釈および[XP-jp:04023]の濱井
さんご自身の
k-hamai> 戦略と戦術を混同しているように思います。
も否定されました。

以上のように、濱井さんと私の解釈は異なります。ただ、両者あるいは少なくと
も片方(すなわち私のこと)は孫子や中国文学の素人なので、これ以上どちらの
解釈が正しいか、あるいは両方とも間違っているか?を議論しても、実はないで
しょう。なので、私としてはこの点についてはもう議論はやめたいと思います。
MLに参加されている方で興味がある方は、専門家の研究を是非お調べいただい
てご報告いただければ幸いです。

3の「戦略は状況に応じて変化するかしないか」は、さらに2つの議論に分かれ
ます。それは
 1)一般的に
 2)成中において

私は、1)については[XP-jp:04025]でも以下のように書いているとおり

firo> では、戦略は(たとえそれが基本戦略(ってまず基本戦略の定義をしなければな
firo> りませんが、これはまああいましにしておくとして)であっても)いつでも同じ
firo> か、というとそうではないと思います。確かに同一の戦略において、戦術を変え
firo> よ、というのは一般的な言い方ではありますが、これは戦略そのものは常に変化
firo> しないということを意味しているわけではないですよね。場合によっては戦略か
firo> ら変えなければ戦に勝てないこともあるわけです。
firo> 
firo> 孫子の言葉も、単に戦術面での変化で対応せよといっているわけではないと思い
firo> ます。状況において最適な戦略、戦術、その他いろいろなことをベストに組み立
firo> てて勝ちを手にしろ、ということではないでしょうか。

変化させるべきと考えています。
「つまり敵は、このような態勢をとってきた。また世界情勢はこうである。ゆえ
に、今回の戦略はかくかくしかじか、このようにしよう。」
というようなことですね。

対して濱井さんは[XP-jp:04023]で以下のようにかかれているとおり

k-hamai> 戦略と戦術を混同しているように思います。
(略)
k-hamai> 敵や環境に合わせ、定まった手が存在しないのは戦術だと思います。
戦略は変化しない、と主張されています(少なくとも冒頭の私の質問にきちんと
ご回答いただけなければ私はそのように考えざるを得ないです)。

しかしこの点についても濱井さんと私の考えは異なりますが、両者あるいは少な
くとも片方(すなわち私のこと)は戦略について素人なので、これ以上どちらの
考えが正しいか、あるいは両方とも間違っているか?を議論しても、実はないで
しょう。なので、私としてはこの点についてはもう議論はやめたいと思います。
MLに参加されている方で興味がある方は、専門家の研究を是非お調べいただい
てご報告いただければ幸いです。

次に2)の「成中」に戦略は変わるかどうかですが、私は成中であっても状
況が変化して最初に立てた戦略がうまくいかなくなったら積極的に変えるべきだ
と思います。変えるのは、別の戦略を立てて再度勝ちにいく、ということもある
でしょうし、場合によったら、負けないため、あるいは負けをできるだけ最小に
押さえるため、と、そのときの戦争の進み具合や状況によるでしょう。いついか
なる場合においても単なる「後始末」にならざるを得ないとは考えません。

k-hamai> 私が「入れ替える」ではなく「入れ替わる」と書いていることに注意して
k-hamai> 欲しいのですが。
k-hamai> プロジェクト管理者が主体的にメンバを入れ替えるケースを言っているのでは
k-hamai> なく、人事異動や退職によりやむを得ず、メンバが入れ替わるケースについて
k-hamai> 言っているつもりです。
k-hamai> XPにおいては、メンバを(短期間で)大幅には入れ替えないというのが戦略で、
k-hamai> それが守れないようであれば、むしろ、従来の重量級プロセスの方が適切
k-hamai> であるということです。

ここは私の解釈が間違っていたことは理解しました。しかし、

k-hamai> XPにおいては、メンバを(短期間で)大幅には入れ替えないというのが戦略で、
k-hamai> それが守れないようであれば、むしろ、従来の重量級プロセスの方が適切
k-hamai> であるということです。

それが守れなくなってもXPにこだわりつづける必要があるのでしょうか?むし
ろ、それが守れなくなった(状況が変化した)から、別の戦略を採用すべし、と
もいえるのではないのでしょうか。

あるいは濱井さんは、メンバが大幅に入れ替わるというトラブル(状況変化)が
おきても、XPが前提としている戦略を変えるべきではない、とおっしゃってい
るかもしれません。メンバ変化という状況変化については重量級プロセスが前提
としている戦略のほうが適合しているかもしれないが、XPが前提としている戦
略を変えてはならない。

でも、それって本当ですか?XPへの盲信では?
高々いえることは、メンバが大幅に入れ替わっても、まだ相対的にXPが有利で
あるならばXPを採用すればいいというだけで、もし相対的にXPが不利な状況
に変化したならば、例え成中(プロジェクトの途中)でも重量級、またはその
状況に最も適合した戦略を前提とした他のプロセスを採用すべきという場合もあ
るのではないでしょうか。戦略を変化させるべきでない例はあるかもしれません
が、それをもって常に戦略を変化させるべきではない、という結論は導かれない
でしょう。私なんか何故不利な戦略にこだわる必要があるかわかりません。

k-hamai> >つまり、濱井さんのご主張は、最初の戦略が全てで、それが間違っていたら後は
k-hamai> >後始末をうまくするしか道はない、ということですね。
k-hamai> 
k-hamai> 「全て」と言うと少し意味合いが違うように思います。
k-hamai> 「戦略が最も重要で、それが間違っていたら後は後始末をうまくするしか道は
k-hamai> ない」というところでしょうか。

先述したように私はそうは思いません。

k-hamai> 変えざるを得ない状況になって変えられるのであれば、戦略は特に重要では
k-hamai> ないということになります。変えざるを得ない状況になったら、ほとんど、
k-hamai> あるいは全くどうしようもなく、せいぜい、失敗を最小化するための後始末を
k-hamai> するしかないから、戦略は重要であるということです。

先述したように私はそうは思いません。

k-hamai> 戦略の失敗は取り返しがつかないのだから、細心の注意を払い、最善を尽くす
k-hamai> べきであると言っているだけです。

細心の注意を払い、最善をつくすのは、あたりまえですが、それイコール「戦略
を成中に変えてはならない、後始末するためだけならば変えてよい」とはなら
ないでしょう、というのが私の意見。

・戦略を立案するときに慎重に行うこと
・しかし人間の予測の不確実性と、状況は変化しえるという点から、成中にお
いても(勝つために、又は、負けないために、又は、負けを最小にするために)
戦略を変化させるだけの知恵を働かせるべき

というのは直交する概念だと思います。

もし途中で変化させること=いいかげん
ならば戦術はいいかげんにたてていい、ということになりますね。

また、戦略の失敗が取り返しがつかないというのは普遍的ではないでしょう。そ
のような場合もあるし、そうでない場合もある。最初にたてた戦略の失敗が取り
返しがつかないようなケースならば、もちろん途中で状況が変わってしまった場
合には、被害を最小にくいとめるような後始末にならざるを得ないかもしれませ
んが、それは一般的な話ではないのではないでしょうか。また最初は取り返しが
つかないケースでも、状況が変わって、取り返しがつくようになるかもしれない
し。。

k-hamai> 失敗したら回復するだけの時間的余裕が無いようなことについて決定するのが
k-hamai> 戦略ですから、変更できるとしたらそれは戦略ではないでしょう。

これって、濱井さんの考えですか?それとも、戦略に対する広くオーソライズさ
れたものでしょうか?

さて、2)の場合も、両者あるいは少なくとも片方は戦略の専門家ではないので、
もう議論はやめましょう。MLの読者の皆様のご迷惑にもなるようですし。。