矢崎です。
リプライありがとうございます。
On Wed, 5 Feb 2003 08:29:46 +0900
HAMAI Kyoichiさん <k-hamai@....com> wrote:
k-hamai> >ごめんなさい。ちょっと教えてほしいのですが、、、
k-hamai> >「”成中”に戦略を変化させる」という話は、このスレッドのどこから出てき
k-hamai> >たのでしょうか?議論は「成中に戦略を変化させることが可能か否か?」でしたっ
k-hamai> >け?
k-hamai> >
k-hamai> >この議論の元となった
k-hamai> >[XP-jp:04021]で紹介されているピーターコードの論文、や、同じくその投稿で紹
k-hamai> >介されている[XP-jp:04012]や[XP-jp:04014]の記事内容、あるいは私が投稿した
k-hamai> >[XP-jp04022][XP-jp04025][XP-jp04040]それに対する濱井さんの投稿、また孫子
k-hamai> >の「水に象る」の解釈のどこにも「”成中”の戦略変化」が議論のメインテー
k-hamai> >マである個所はないと思うのですが、私間違ってます?
k-hamai>
k-hamai> 「水に象る」という言葉が出てくるのは、『孫子』の虚実篇(実虚篇)で、
k-hamai> 戦場における虚々実々のかけひきについて書かれた篇です。ですから、「水に
k-hamai> 象る」というのは戦場において、戦闘において、ということになります。
なるほど。「水に象る」は、そもそもが成中の変化についての話だというわけ
ですね。
だから、[XP-jp:04023]で、「水に象る」は成中における変化の話なのに、戦
略が成中に変化すると矢崎が言っているのはおかしい。成中に変化するのは
戦略ではなく、戦術である。つまり矢崎は戦略と戦術を混同していると、ご意見
おっしゃったというわけですね。
私は[XP-jp:04023]は、成中においての変化だと限定していたわけではありま
せんでしたが、「水に象る」が、濱井さんのおっしゃるように「成中」につい
ての話だというのが正しい解釈だとすると、私の「水に象る」の解釈が間違って
いたということになります。
#本当にその解釈が正しいのかどうかは、わかりません。
で、仮にそうであるとするならば、濱井さんは、[XP-jp:04023]で「成中」と
いう文脈において反論されているということになるというわけですが、しかし
k-hamai> 戦略と戦術を混同しているように思います。
k-hamai>
k-hamai> ・正確な情報を得る
k-hamai> ・充分な兵力を揃える
k-hamai> ・充分な補給を調える
k-hamai>
k-hamai> といった基本戦略はいつでも同じです。
の「いつでも」
や
k-hamai> ソフトウェア開発でも。
k-hamai>
k-hamai> ・優れた人材を揃える
k-hamai> ・良いツールを揃える
k-hamai> ・各人のやる気を引き出す
k-hamai>
k-hamai> といった基本戦略はいつでも同じです。
の「いつでも」
が、私は、成中における、というようには解釈できませんでしたし、今でもで
きません。私としては、この文章の解釈は、文字通り「基本戦略はいつでも同じ
(変化しない)」のであり、また次の文章までくると
k-hamai> 敵や環境に合わせ、定まった手が存在しないのは戦術だと思います。
「基本戦略以外は、全て戦術で、戦術は敵や環境に合わせ、定まった手が存在せ
ず変化しうる」
となるのではないかと思われます。
だから、私は
「そんなことはないだろう。戦略だって常にどのような状況でも正しいといえる
ものはないので、状況や環境にあわせて変えなければならないんじゃないか。」
と思い、そのように意見を申し上げたという次第です。
で、教えていただきたいのですが、元の濱井さんのご意見での「いつでも」とい
う部分は「成中」という文脈とどのように関係するのでしょうか。私には、正
直どのようにしてそれらがつながるかが理解できません。また、理解できないと、
濱井さんの「戦略は変わらない」という意見に対する私の「戦略は変わる」とい
う反論は、結局ズレている、ということにしかならないので、意味がないことに
なります。申し訳ありませんが、教えていただければ助かります。
さて、次の話ですが、
k-hamai> >k-hamai> 例えば、XPにおいて「変化ヲ抱擁セヨ」という言葉どおりあらゆる変化を
k-hamai> >k-hamai> 受け入れるというわけではありません。XPにおいて想定している「変化」は、
k-hamai> >k-hamai> 仕様の変化や納期の延長、短縮のような変化であり、開発メンバが大幅に
k-hamai> >k-hamai> 入れ替わるような「変化」に対してはXPは不向きです。このような変化に
k-hamai> >k-hamai> 対しては、むしろ、従来の重量級プロセスの方が適切です。
k-hamai> >
k-hamai> >開発メンバが大幅に入れ替わるというような話は出ていないと思いますが、どう
k-hamai> >でしょう。
k-hamai>
k-hamai> 「例えば」という言葉の通り、戦略を変化させるべきでない一例として挙げた
k-hamai> だけです。
開発メンバを大幅に入れ替える、というのは戦略の例の1つである、ということ
ですね。しかし、それなら重量級プロセスであれば、そのような戦略変化が可能
だとおっしゃっているように思えるのですが、いかがでしょう?つまりXPでは戦
略変化は不可能だが、重量級プロセスでは、(少なくともメンバの大幅変更とい
う)戦略変化は可能だとおっしゃっていると解釈してよろしいですか。
ならば、成中であっても、戦略を変化してもよい状況(ここでは、XPか重量級
かの違いによって)はある、と濱井さんはいみじくも主張されていると思います
が、いかがでしょう。
またこのことと関係して[XP-jp:04057]での
k-hamai> XPは、ドキュメントよりも動くソースと開発メンバの知識を重視する*戦略*
k-hamai> をとっているということです。この戦略を開発中に変えては、XPとは言えない
k-hamai> でしょう。それ以前にまともなソフトウェア開発ができないでしょう。
#これは、まともなソフトウエア開発ができないの意味は、戦略を開発中に変え
るようなことになったら、まともなソフトウエア開発ができない、ということですね。
k-hamai> 戦略を変更するのは、戦闘が始まる前、開発が始まる前でなければならず、
k-hamai> 成開始後、開発開始後に戦略を変更しなければならなくなるのは、それ自体
k-hamai> が戦略的失敗です。
は、
戦略的失敗が起きると、後は手をこまねいて失敗するのを眺めているしかない
又は もう開発をやめるしかない、あるいは、戦略が間違っていても、その間違っ
た戦略のもとで、ソフトランディングを試みろ のいずれかの解釈になるわけで
しょうか。これらのうちのどれでしょう(あるいは別の解釈がありますでしょう
か?)。
でも、もしそうだとすると、成前に選択した戦略が間違っていたら、後はどう
にもリカバリできないということになりますね。高々戦術レベルでどうにか被害
を最低限に押さえるとか、そういうことしかできない。
私は、失敗しない戦略を立案することと、戦略的失敗があった場合に、どのよう
に対処すべきかは、別問題であり、どちらも重要だと思います。また、その対処
の中には戦略を変える、という選択肢が絶対有りえないとは思いません。これに
ついて、そうだ(私の意見)、そうじゃない(濱井さんのご意見)、という場合、
どちらかが根拠をきちんと示して相手を納得させない限り、結局は意見の相違と
して平行線で終わってしまいますね。それが悪いわけではありませんが。。
ただ、人間は常に将来を、あるいは現在を的確に予測できないわけですから、結
局のところ、事前に立てられる戦略はある種の不確実性をもっていると思えるの
です。慎重に慎重を期してそれでも結果として、間違った戦略を立案してしまう
ことを100%避けるというのは無理ではないでしょうか。だから、最初に間違っ
た戦略を立案してしまったら、後はなす術がないというのは、どうにも知恵がな
いように(あるいはあきらめが早すぎるように)思いますが、濱井さんは仕方が
ないということなのでしょうね。
ソフトウエア開発についていえば、最初に重量級で始めても、途中でそれがまず
いとなったらXPに変えるとか、あるいはその逆があるとかは、絶対不可能なの
でしょうか?私は可能だと思います。
#戦略を立て直すために、一度立ち止まる必要があるかもしれませんが、その立
ち止まりは戦闘の終わりを意味するわけではないというのが私の考えです。
k-hamai> 確固とした戦略があるから柔軟な戦術が可能となるのであって、戦略が簡単に
k-hamai> 変化したのでは、行き当たりばったりになってしまいます。
確固として戦略内での柔軟な戦術変化が可能になるという話と、戦略そのものを
変化させるべきかどうかは別次元の話ではないでしょうか。
また、戦略を変化する、ことイコール 戦略を”簡単に”変化するとなるのでしょ
うか。一生懸命考えて、戦略を変化させることもあるのではないでしょうか。そ
の場合その戦略変化は行き当たりばったりと簡単に言い切ってしまっていいので
しょうか。
あるいは、戦略が正しくない中で、その戦略を変えずにその枠ぐみの中で、いろ
いろな戦術を四苦八苦しながら、ほとんど無駄な戦いを続けることこそある場合
には行き当たりばったりだといえるのではないでしょうか。