釘本です。
島田さん、こんにちは。
このメールは全て私の意見です。
On Wed, 29 Jan 2003 04:32:44 +0900
Hiroyuki Shimada <shimaden@....jp> wrote:
> 戦略は将軍が立てる大きな枠組みで、戦術は兵士のもので、枠組みを実践する
> ために行うこと、と思っているのですが、正しいですか?
「軍隊」というコンテクストでは、正しいです。
正しすぎて誰も否定できない筈です。
軍隊の将軍に聞けば、
「正にその通りである!ワシが行うのが戦略的意思決定であり、下士官や軍曹な
どの現場指揮官が行うのが戦術的意思決定である」
というでしょう。
でも外務大臣に聞けば
「ちょっと違いますねぇ。軍隊を使うべきかどうかという私が行う意思決定が*
よ*り*戦略的なものですよ。一国の外交方針の決定というレベルからすると軍隊
内部の判断なんぞただのオペレーションレベルの意思決定という方が妥当です。」
と応えるかもしれません。
でも大統領に聞けば、
「外務大臣ごときが行うのはただの微調整。そもそも、ある他国との共存をわが
国は認めるのか、それとも断固拒否するのかという国家としての究極の意思決定
は私しか行い得ない。これこそが唯一の戦略性の*高*い*意思決定と言えるよ」
と言うかも知れません。
くどいですが、視点の取り方によります。
妥当な視点の取り方はコンテクスト依存の、実利的にしか決まらないものです。
定義不能であり、定義できない基準をコンテクストから「感じ取って」実際に部
長や社長や将軍や外務大臣や大統領として成功する事でしか証明できない、とい
う事です。
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言語表現の妥当性の話は、言語学の範疇になると思います。
つまり意味論だと思うのです。シニフィエ。
言葉の遊びを排して真摯に考えるからこそ、表現形式とそれが指し示す表現内容
との関係は相対的としか言えません。
戦略的ですか?
という問いは、意味論です。
つまり
背が高いですか?
という問いと同じです。
本質的に相対的です。
したがって、正しくは
「戦略ですか?」
ではなく
「戦略*的*ですか?」
「*よ*り*戦略的ですか?」
「戦略性が*高*い*ですか?」
が*よ*り*正確な表現でしょう。
(↑正確性も相対的、言葉で遊ぶためでなく、真面目な議論のために。)
「何でも相対的なんてそんなバカな!生きている以上基準はある筈です!A君は
190センチあるのだから背が高いというべきです!190センチあるA君を背が高い
『かも』という人は頭がおかしいです!」
と主張してもしょうがないです。江戸末期には170センチあれば背が高かった筈
ですし、戦後日本人の体格の変化からするとあと50年したら190センチの人は普
通(のコンテクスト=日常の世界の仮定←これは実は錯覚ですが)には「中ぐら
い」というべきかも知れません。
つまり、上記の「頭がおかしい」的な思考法では、知らずにあるコンテクストを
前提をしており、そのコンテクストでは正しいに決まっています。
今の社会のコンテクストで「かも」と言っているのではなく、本質的には「かも」
である、という事です。
コンテクスト内での表現と、コンテクスト依存だという認識とは
「私にとって神は実在する」
というのとも似ています。
あなたにとって(の世界、あなたが知らず知らず前提としている世界)は、神が
居る(世界、な)のですから。
「平行線は交わらない」は、絶対に正しいです。でもあるコンテクスト下での正
しさですので、正しさ、妥当性は相対的です。
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お前、何をOO関連のMLで言葉の話にムキになっているの?
といわれてしまいそうな気がしてきました(笑)
しかし、例えば要件定義段階では記号と意味の結びつきは相対的という言葉の性
質を意識するかどうかは非常に重要と思います。
「十分早い事」
「正確な情報を表示する事」
「大きな見やすいフォントを使用すること」
これらの表現は定義してはいません。
定義みたいな事をしているのだと思います。
システム開発と無縁な話とは思えません。その反対だと感じます。
更に、OOというのは開発対象物の検討にあたって戦略性の高い意思決定をスラっ
とやってしまうための方法論という側面があると思いますので、戦略性について
の認識が甘いと、それを十分に認識している場合に比べてクラス設計も甘くなる
かも知れないな、とも思います。
OOであるからこそ更に言葉の問題は重要な気がするんです。実際、名詞技法とか
あるし、動詞がメソッド候補とかユースケース候補とか言うんですしね。
相対的だと認識しないと
「ココにはこのクラスがあるに決まっている!安全在庫クラスは絶対に存在する!
なぜならこれは在庫管理システムだからだ!」
という思考法に近づくかも知れません。
なんだっけ。劇場のイドラか。これ、そうとも言えますね。
(ここ↑、パターンとの関係をよく考えてみたいと思っています。でも今の私は
「パターンって本質的に何なのか」について自分なり独り善がりにさえ解ってい
ないので、今は考えるだけ無駄ですね。パターンをパターンと認識するかどうか
も意識レベルに関係しているというのがぼんやり考えているところですが・・・
いや不勉強で恥ずかしいから止めます。)
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> たとえば、ビル・ゲイツが「Windows をセキュアな OS にするぞ」というのが
> 戦略で、社員がバグ・レポートを集めたり、バグの個所を発見してフィックスし
> たりというのが戦術で、っていうのは合っていますか?
合っていると思います。
ある視点=従業員の視点では。
つまり通常の毎日の業務をこなす上での意識レベルというコンテクストでは。
上記のビルさんの意思決定は、日常活動レベルの意思決定を超えている意思決定
なので、戦略*的*と表現できます。
また、その会社の例とは全く関係ないかもしれませんが、以下ご参考に。
「自社製品の克服が困難な弱点についてはそんなもの全く存在しないかのように
振舞おう雑誌広告などで否定し続けて消費者にどんどん『セキュアですよ』とい
う刷り込みをしよう、もしもそれが通用しなくなったら今度はその弱点を克服す
る事よりもむしろ『ウチはその弱点を今本当に力を入れて克服中です!』という
キャンペーンを張って『多少問題があってもその内いやあの力の入れようだと明
日にでもセキュアになるだろう』という雰囲気を作り出そう、これらの活動によっ
て消費者の自社ブランド選好度の低下に歯止めをかけよう、マスメディアを通じ
て大丈夫です大丈夫ですと連呼して、一般消費者は他の情報源よりもマスメディ
アを盲目的に信じてしまう率が高いという社会学的心理学的盲点を突いて大丈夫
なんだという社会的合意つまりトレンドすなわち集団ヒステリー状態を作り上げ
よう」
という、より大枠の意思決定があったとしたら、その意思決定の方が*更*に*戦
略的であると言えるでしょう。
例とは関係ありませんが、世の中のある種の企業には確かにこのような戦略が存
在するらしい事は誰でも感じている事で、よくこれを「イメージ戦略」と表現す
るのも皆さんご存知だと思います。
釘本浩樹
<kugimoto@....jp>