ごうぎさん,こんにちは。 村上です。
On Tue, 16 Apr 2002 13:06:29 +0900
ごうぎさんのメールより:
>管理者を親方にするとは、思っていませんので、そうではないです。
はい,その点は了解いたしました。
では親方,棟梁は熟練職人の愛称ということで,,,^^;
長々とすみませんでした。
>理想的には管理者はいない方がいいと思っているけど、もし管理者が
>必要な場合には、その管理者もいくらかの開発経験も必要ではないか
>と僕は思っています。....(A)
開発経験があることで「話の判る管理者」になるというメリットが出て
くるという点は重々承知しています。
しかし,「儂の若い頃はこうやってなぁ・・・」と熟練職人の職域に介
入してくるようなデメリットも振り返ると多々あったように思えます。
開発経験があり,なおかつ熟練職人の職域を犯さないような自制心を持
ちあわせることができれば,それが最善だとは思うのですが。
こういったこともあり,私は(A)については「必ずしも必要ではない」と
いう考えを持っています。
>「延長線上に存在しない」という表現が、開発者と管理者が最初からキャ
>リアパスとして分かれていると言われているのかなと読み取りました。
そういう主張です。
つまり,管理者の必要条件として開発経験は必須ではない,故にキャリ
アパスは別物であるという主張です。
(開発経験があれば強みになることは認めますが,無いと致命的になる
ものでもないという位置づけです。)
そして何度も繰り返していますが,インタフェースや調整役としての管
理というスキルは非常に奥深いもので10年20年かけて培っていくような
大変なものです。 (いや一生がかりか!? ^^;)
人間の寿命を考えた場合,開発経験という寄り道をせずに,その道に邁
進していくという位の気負いも必要なのではないかと思います。
(当然,管理者になった暁には現場のことを理解すべく,勉強するべき
ですが,それは「システムを完成させるための手法」を学ぶのではな
く「システムを完成させるためのリソースのやり繰り方法等」を学ぶ
はずです。 つまり,少し視点が違うはずなのです。)
>理想的には管理者不要論の立場の僕は、管理者が必要な段階というのも
>ありえると思っています。ただ、その場合も管理者が一人ですべての調
>整をできるとは思えず、管理者の開発スキルが低いほど、熟練職人がひ
>っぱりだされることになるのではと思っています。
資料作りに追い回された挙げ句,会議に引っ張り出される悔しさは良く
理解できます。 でも,それってごうぎさんの言う「管理者」が単なる
調整会議の場で発言する「代理人」という機能しか果たしていないとい
うことを意味しているだけではないでしょうか。
つまり,管理者不要論というよりも,管理者不在から来る「名ばかり管
理者不要論」というのでしょうか。
本当の問題は「管理者の開発スキル」などではなく,「管理者が意志決
定を行っていない」あるいは「管理者が意志決定権限を持っていない」
ということだと思います。
システム間でリソース要求が対立している,例えば本番データがロード
されているサーバが1台しかないのに,来週始めから本番稼働を予定し
ているプロジェクトが2つあるような場合,プロジェクトの熟練職人同
士が話し合っても埒があきませんよね。
当事者以外の誰かが「どちらかが血を見る」決断を下さなければならな
いのです。 それが管理者の役割です。
この辺りで日本的管理者と西洋的管理者の権限の違いが見え隠れしてい
るような気もします。
システム間でリソース要求が対立しているような場合,西洋的な管理者
だとシステム間を走り回って情報収集をした後は,「独断」で決定を下
すだけの権限と責務が与えられています。
日本もこんな風になると少しは暮らしやすくなるのかもしれませんね。
あと一点,
>会議はオープンにして興味がある人全員が参加できるようにすれば、
>調整毎がもっとうまくいくのではないかなと思っています。
うーん,担当者のモチベーションは上がるかもしれませんが,議論が発
散して意志決定の場から遠ざかるだけのような気もします。
とりあえず思いつくままですが。
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Masaaki Murakami mmura@....jp