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Date:  Thu, 28 Mar 2002 03:25:48 +0900
From:  "Yoshitake Hiyama" <PXW11067@....jp>
Subject:  [XP-jp:03320] Re: ムダの定義
To:  <extremeprogramming-jp@....jp>
Message-Id:  <00b401c1d5bc$e8217800$08417c3d@HSCK5MZ0V3LQNT>
References:  <003b01c1c161$f2463380$74417c3d@HSCK5MZ0V3LQNT> <200203220256.LAA09336@....jp>
X-Mail-Count: 03320


火山です。

濱井さん いつもご丁寧なお返事ありがとうございます。

感謝の気持ちをこめて濱井さんのご意見に返信をさせていただきます。

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> 時間が有限だからこそ、時間に価値があり、お金を余分に払ってまで時間を
> 節約しようとするのですが。
> 失った時間を買うことはできませんが、失うはずの時間を買うことは普通に
> 行われています。クルマ、電車、飛行機などの交通機関を使う理由の一つは、
> 時間というコストを節約するためです。

時間はコストではありません。 お金では買えません。
時間は、全てのものに平等に与えられるもので、価値基準も存在していないように思
います。
時間=お金という世界、いわゆる「時は金なり」という概念は、古い時代の過ぎ去っ
た価値観のように思います。
現代では、”時”さえも無限に得ることができる時代で、有限ではないと定義する学
者もいます。
真空と思われていた世界にエネルギーが発生する理論で、宇宙の無限の成長を説明す
る学者もいます。価値観は時代と共に、必ず変化するものです。
変化を先取りできるものが、産業に革命を起こします。


> >スペースも、狭い日本だから土地に莫大なお金がかかるわけであって、土地が有
り
> >余ってる場所(人口密度が極端に少ない場所)であれば、そこにはコストすら存在
し
> >ません。
>
> 土地が有り余っている場所というのは、通常、交通の便が悪い、輸送コストが
> 多くかかる場所です。
> また、土地がタダ同然であっても建物はそうはいきません。半製品や製品を
> 雨ざらしにしておくわけにはいきませんから、屋内に保管しようとすれば保管
> スペースをタダにはできません。

保管庫をタダで作る方法をご存知ないようですね。
穴を掘れば立派な保管庫ができます。
洞穴があれば、それだけで立派な保管場所になります。
交通の便や輸送コストも、生産したその場所に客が購入に来るほどの製品であれば、
経費はゼロで抑えらえるはずです。
生産する側、販売する側が必ず輸送しなければないという決まりはどこにもありませ
ん。

>
> >在庫=コスト 時間=コスト
> >ある一定のものさしで経済全体を計測し、効果のある評価を導き出す方が、私に
は
> >ワープなどの光速の限界を超える航法ぐらい実現性が低そうに思えます。
>
> 在庫が増えればコストが増える、時間がかかればコストが増える、と
> 言っているだけで、在庫だけ、時間だけでコストが決まると言っているの
> ではないのですが。

「在庫が増えればコストが増える」「時間がかかればコストが増える」基準は、少々
古めかしく固まった考え方のように思えたので、視点を変えて違う角度から眺めてみ
てられたはどうでしょうかと、提案させて頂いただけだのことです。

> 運が影響する時間のレベルが全く違います。普通の工場なら、長くても数時間
> の作業サイクルですが、農業では、種まきから収穫までの数ヶ月のサイクル
> です。数時間で作りすぎたことがわかるのなら修正のしようもありますが、
> 数ヶ月後にわかるのでは修正のしようがありません。

濱井さんは、何を基準に「普通」と定義されているのでしょうか?
自分が知るうる範囲のことを、誰しも「普通」という言葉で捉える傾向があります
が、「普通」=「多数」ではないことも、考慮していただきたいと思います。数時間
でできる作物も当然ありますよ。


> また、「作りすぎのムダ」は、供給側単独で発生しますが、「豊作貧乏」は、
> 供給側、需要側双方が関連して発生します。

供給側・需要側双方が関連しない産業は、存在しえないのが真理ではないかと、私は
思います。


> 「生産」という経済活動の枠からは出られません。趣味や道楽としてなら
> ともかく、ビジネスとして行う場合には。

「ビジネス」と「趣味」「道楽」の境界線を明確に定義することは、極めて困難だと
思います。
その人がビジネスだと言えばビジネスになるだろうし、趣味でやってるんだ、道楽だ
と言えば、道楽になるでしょう。 世の中そんなもんだと思います。
趣味が、いつの間やらビジネスに変化したり、ビジネス(お金儲け?)がいつのまに
かその人にとって趣味になったり。
私の父は、定年退職後、道楽で甘夏みかんのワインを作りはじめましたが、いつの間
にやらビジネスになってしまってます。ま、本人は、道楽だと言い切っていますけ
ど。
なので、「ビジネス」と「趣味・道楽」を客観的な定義で区別することは不可能だと
思います。

> 「モノのムダ」ならともかく、「行為のムダ」はあると思います。
> 例えば、東京から大阪へ行くのに歩いていくとしたら、歩いていくこと自体が
> 目的でもない限りムダだと思いますがどうでしょう?
> 基本的に目的があって何かの行為をとるわけですから、目的に沿わない行為は
> ムダだということになります。

ですから、目的を変えれば、ムダだと思っていたことをムダでないように変えること
ができることをお話させて頂いているわけです。
目的(方向性)を変えなければ、ムダはいつまで経ってもムダとしか思えないもので
す。

> 確かにムダと思っていたモノや行為が後で役に立ったということは時々
> あります。しかし、全てがそうとはとても言えませんし、時間も有限ですから
> 役に立つまで待つということもなかなかできません。

時間を無限に変えることは可能かもしれません。
例えば、今のところ、DNAは時空を越えて存在・成長し続けています。
DNAは、時間を”無限”だと捉えているのかもしれませんね。
我々のような生命体は、DNAの意思に操られている一種の媒体に過ぎないのですか
ら。

それでは、また。
また、ご意見があればお聞かせくださいませ。