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Date:  Fri, 22 Mar 2002 11:56:08 +0900
From:  HAMAI Kyoichi <k-hamai@....com>
Subject:  [XP-jp:03303] Re: ムダの定義
To:  extremeprogramming-jp@....jp
Message-Id:  <200203220256.LAA09336@....jp>
In-Reply-To:  <003b01c1c161$f2463380$74417c3d@HSCK5MZ0V3LQNT>
References:  <003b01c1c161$f2463380$74417c3d@HSCK5MZ0V3LQNT>
X-Mail-Count: 03303

濱井です。遅くなりました。
2002/03/02 05:44:50 +0900にXW11067@....jpさんが送られた
メールに関する返信です。

>濱井氏> 個人的には、ワープなどの光速の限界を超える航法ぐらい実現性が低そうに
>濱井氏> 思えますが。経済判断には、生物としての本質に起因するものも少なく
>濱井氏> ありませんから。在庫のスペースのコスト、時間のコストなどは、生物とし
>て
>濱井氏> の本質に起因するものだと思います。
>
>すみません。おっしゃってることが、十分に理解できないです。
>時間をお金に換算する手段はありますが、お金で時間を買うことはできません。
>自由な時間を作り出すことは可能ですが、それでも与えられている時間は、同じで
>す。

時間が有限だからこそ、時間に価値があり、お金を余分に払ってまで時間を
節約しようとするのですが。
失った時間を買うことはできませんが、失うはずの時間を買うことは普通に
行われています。クルマ、電車、飛行機などの交通機関を使う理由の一つは、
時間というコストを節約するためです。


>スペースも、狭い日本だから土地に莫大なお金がかかるわけであって、土地が有り
>余ってる場所(人口密度が極端に少ない場所)であれば、そこにはコストすら存在し
>ません。

土地が有り余っている場所というのは、通常、交通の便が悪い、輸送コストが
多くかかる場所です。
また、土地がタダ同然であっても建物はそうはいきません。半製品や製品を
雨ざらしにしておくわけにはいきませんから、屋内に保管しようとすれば保管
スペースをタダにはできません。


>在庫=コスト 時間=コスト
>ある一定のものさしで経済全体を計測し、効果のある評価を導き出す方が、私には
>ワープなどの光速の限界を超える航法ぐらい実現性が低そうに思えます。

在庫が増えればコストが増える、時間がかかればコストが増える、と
言っているだけで、在庫だけ、時間だけでコストが決まると言っているの
ではないのですが。

>濱井氏> >> 「作りすぎのムダ」が、トヨタ生産方式では最悪のムダとさえ言われて
>います。
>hiyama> >豊作貧乏ってことでしょうか。
>濱井氏> 違います。「豊作貧乏」は意図以上にできてしまった結果起きるのに対し、
>濱井氏> 「作りすぎのムダ」は、意図通り作った結果起きるものですから。豊作貧乏
>は
>濱井氏> 運ですが、「作りすぎのムダ」は自業自得です。
>
>違いません。
>
>単純に、「豊作貧乏は運」と判断されるのは、濱井氏が工業製品やソフトウェア製品
>の経済面のお話中で用いられている分析・判断基準のレベルと比較すると少々短絡的
>過ぎるように感じます。
>農業も経済活動のひとつなのですもの。
>「作りすぎ」という点では、農業も工業も同じ。
>農業・工業・商業、あらゆる経済活動において、運は存在します。
>運とは、「思いもしない方向に事が運ぶこと」ですから。

運が影響する時間のレベルが全く違います。普通の工場なら、長くても数時間
の作業サイクルですが、農業では、種まきから収穫までの数ヶ月のサイクル
です。数時間で作りすぎたことがわかるのなら修正のしようもありますが、
数ヶ月後にわかるのでは修正のしようがありません。

また、「作りすぎのムダ」は、供給側単独で発生しますが、「豊作貧乏」は、
供給側、需要側双方が関連して発生します。


>ある一定の尺度の枠からはみ出ることで、初めてムダの価値を見出せるように思いま
>す。

「生産」という経済活動の枠からは出られません。趣味や道楽としてなら
ともかく、ビジネスとして行う場合には。


>『世の中には、本当のムダなんて存在しない。』というのが、火山の持論です。

「モノのムダ」ならともかく、「行為のムダ」はあると思います。
例えば、東京から大阪へ行くのに歩いていくとしたら、歩いていくこと自体が
目的でもない限りムダだと思いますがどうでしょう?
基本的に目的があって何かの行為をとるわけですから、目的に沿わない行為は
ムダだということになります。

確かにムダと思っていたモノや行為が後で役に立ったということは時々
あります。しかし、全てがそうとはとても言えませんし、時間も有限ですから
役に立つまで待つということもなかなかできません。