みやたさん、
こんにちは、合木です。
On Thu, 28 Feb 2002 15:50:30 +0900
Kaznari Miyata-san wrote:
:
> > 「大量に生産するかそうでないか」で分類するのはあまり本質的でないように個人
> > 的には思います。
> > それは、屋台方式でも人を増やせばその考えをベースに大量生産が可能だからです。
> > 私の捉え方では、目的は同じではありますが、トヨティズムの「活人化」と「ムダ
> > を取り除く(仕掛在庫というムダの排除)」の極みのなかで発想されたたものとい
> > う位置づけで、屋台方式(セル生産方式)があるとことかと理解しています。
>
> 脱線状態ですが続けさせていただきます。(笑
はい。(笑
> 大量生産という観点でとらえた場合、やはりコンベア方式の方が優位にあるとは
> 思います。その理由としては、単能工は多能工に比べ大量に安く確保(教育)で
> きると言う点があると思います。
はい、そうですね。そういう点での優位性はあると思います。また、他にも互いに
優位性もそうでないところありますので比較し、それらとバランスをとって考えて
みることでまた何か見えてきそうですね。
> また、大量に生産しかつモデルチェンジがない時代においては、仕掛在庫の存在
> は問題にはならなかったでしょう。(T型フォードの時代かな)
> その後、数年単位でモデルチェンジするようになり、現在のように数ヶ月単位で
> モデルチェンジが起るようになってきて、その環境の変化にあわせて、生産方式
> も変化してるだけだと認識してます。
> モデルチェンジが必要になって、初めて仕掛在庫が問題になったんじゃないかと
> 勝手に推測しています。(笑)というか、モデルチェンジが無い場合、同じ物を
> 生産し続けるわけですから。。。
「問題となったか、ならなかったか」という捉え方で考えたならば、過去に実際に
その場面を迎え、なんらかのきっかけを得ることになったということは十分ありそ
だなと思えます。
また、推測が当たっていて真だとして、さらに、その裏では喜一郎氏が初期にジャ
ストインタイムという言葉を使われたことを出発点として大野氏がその思想を具現
化していく強い流れがありましたので、問題が起きたから着想を得たという単発的
で単純動機だけではない部分があったようにも思います。問題として表現するため
の思想があったのではないでしょうか。さらに、ザ・ゴールという本が米国で出た
背景を見てもただ「問題として現れる」という感覚よりも「なぜ問題として捉えら
れたのか」という方をしてみると、同じようなものを生産しているにも関わらずト
ヨタではなぜそれに早く近づくことができていたのはなぜかという疑問が出来てき
ますし、それを考えることでまた何か見つかりそうですし、全体が見えてきそうで
す。
何気なくすごしていてはいつまでたっても問題として現れてこないし、見つけようと
しても問題として目の前にくっきりと現れないので改善するという作業は思いのほか
難しいものだと思います。そこら辺を考えると、そういった自然に顕在化してこない
問題を見つけて捉える事が可能になる見方を得ることで、初めて流れをざっと変える
ような改善をも可能とするように思いますし、日々の改善の中でも全体に対してうま
くなじむような問題解決をしていけるようにも思います。
僕には、個別に現れた問題をそのつど解決していくだけでは、生産方式というものに
育てていくのは難しいように思えてなりません。きっとそれに生命を持っていると感
じる部分があるからですし、命を吹き込む思想があるように思うからです。
それらから、「仕掛り(在庫)」に着目できたのは、全体として組み上げることを可
能とする思想がもっとも大きく影響したのではないかと個人的には思っています。
そういう、全体として組みあげる思想は、XPを知った時にもとても感じました。
繰り返しになりますが、もちろんきっかけは、おっしゃるように「問題となった」と
いう事実であることも十分ありえると思います。
以上です。
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Shigeru Gougi
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