> ただ、パタン言語を記述するのは、それは絵を描いたり詩を書いたりと近い
> 気がしていて、ある時代のあるパラダイムをアーチストが切り取ったような
> ものに感じ価値を感じます。
この文を読んで連想したのが下記です。(頭の数式ではなく頁下
方のいわゆるフラクタル図形。)
http://www.fureai.or.jp/~studiok/Home/Engineering/Forum/X3-1=0/X3.htm
方法論を読んだときに感じる感覚とは、この境界をきっちり直線
で近似し、これが解法だ、と差し出されるようなものではない
か、と思います。解析の分解能を上げていけばそれなりに精密な
ものとなりますが、対象が無限の複雑さを持ってるのですから、
よくもわるくも多少マシな近似の域を抜け出ず、複雑でコスト高
の割には精度が向上しない、と。
いわゆる安っぽい(あまり役に立たない)「一般論」とは、赤と緑
の境界を2つの中間色のグラデーションで表すようなものではない
かと思います。とんでもない間違いではない反面、対象の一番の
特徴(この図形であれば無限に入れ子になっている形)を伝えてい
ないので、そこから得るものが少ないといえます。
絵画や文学は、あるひとつの点(例えば赤で囲まれた緑の飛び地
といった意外性のある点)を指し示すことで、物事を伝えようと
しているのではないかと思います。赤の領域の中に赤の点が存在
すること自体は意外でなくても、赤の領域に存在する緑の飛び地
の中にさらに赤の点が存在するなら、それは意外なのですから、
受け手がすでに持っている情報を極限まで活用し、伝達のコスト
を下げているともいえます。芸術の深さとはこのネスト深さであ
る、などといっては冒涜でしょうか…
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Michitaro Horiuchi / Access Co.,Ltd.
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