平鍋です.
感じる部分のみ,ピンポイントコメントで失礼します.
On Wed, 27 Feb 2002 12:01:05 +0900,
Shigeru GOUGI <ANC04864@....COM> said:
> 僕はパタン言語はパラダイムの中に存在するもの(というか、見つけ出せるもの)
> と思っています。
> その前提で、ひとつは、パタン言語が存在するのはそれでよいのですが、パラダ
> イムシフトはただでさえ行いにくいのに、あるパラダイムの中の明確に構造化さ
> れたパタンにより構成されるパタン言語を抽出し文書化することで、よりパラダ
> イムシフトがしにくくなるんじゃないかということを心配しているようです。
> また、もうひとつは、文書化され共有され強く意識されることで、あるパラダイ
> ムの中から新しいパラダイムを生み出すことの邪魔をするんじゃないかな感じま
> す。
> それは、パラダイムが変わるとパタン言語は、いくつかのパターンに共通性をみ
> つけられるかもしれませんが、基本的に全体としてのパタン言語は単純にがらっ
> と変わると思うからです。そうでないとパラダイムソフトといえない様に思えま
> す。
> ここら辺は、トヨタ生産方式の変容を見るなかで、あいまいさがあったからどん
> どん変わっていけているように感じたところが大きいです。
すごく正しいと思いました.「ソフトウェア開発はビルの建設より
もガーデニングに似ている」,と Kent さんが言っていましたが,
パタン言語とも通じますよね.
> 否定的な感じで書いてしまっていますが、正直なところ僕自身まだ有効性がよく
> わかっていないということだと思います。
> ただ、パタン言語を記述するのは、それは絵を描いたり詩を書いたりと近い気が
> していて、ある時代のあるパラダイムをアーチストが切り取ったようなものに感
> じ価値を感じます。それを強く感じたのは、結城さんの絵本を読むことに関する
> パタン言語を読んだときでした。暖かさややさしさ(愛?)を感じました。精神
> 面での核があることによって書くことができたんじゃないかなと思いました。つ
> まり精神面での核があることが大切で、その核があったから創造できたんじゃな
> いか、パタン言語も芸術的な表現手段の一つなのかなと思ったということです。
はい.ぼくもそう思います.
ちょっとはずれますが,Alexander が,科学と芸術の両方に共通す
る基本法則を捉えたかったこととも符号します.その法則を G と
すると,科学は G の抽象化,芸術は G の特殊化,というようなこ
とを言っていたと思いますが....ですから,パタンはある程度
芸術の言葉で科学を語っているのだとも思います.(正確には,う
まく言えませんが)
以上です.