> 最初の問は、例えば「MLで議論するためのパターンランゲージ」が文
> 章として存在しこの場で知識として共有されていたら、今回の経験した
> 様々な方のアクションがさらに良い形で現れていたり、スムーズな問題
> 解決が行われただろうか、またそもそも場が荒れるという事もなかった
> だろうかというものです。
> これについては、僕はすべてそうはならないのではないのではないか
> と思いました。それは、一つは、心理的にそういうのがあるとかえって
> アクションしにくくないかなと、ただただ単純に思うからです。f^^;
パターンランゲージの役割とは突き詰めれば、思考を整理する助
けになること、伝達に便利であること、と思います。パターンラ
ンゲージが思考を代行するわけではないですから、それ自体が何
かを生み出すわけではなく、生み出すためのツールに便利である、
ということと思います。国語辞典があっても文章が生成されるわ
けではありませんが、あればそれなりに伝達や研究、学習に便利
だというようなものではないかと。
議論のためのパターンランゲージがあれば問題が解決するわけで
はなく、問題の解決のための議論がパターンランゲージによって
行われるということではないかと。パターンランゲージは法律で
はないので、一律に適用されるものではなく、パターンの取捨選
択とどう組み合わせるか、がその目的なのですから。
> また、そのパターンランゲージが形式的なものであったならば、仮に
> それにより早期に場が落ち着いたとしても、何かを生むということもな
> く、何かを生む場に育つということもないようにも思いました。
>
> もちろんそれ(パターンランゲージや議論の仕方に関する本など)を
> 必要とする状況の場もあるでしょうが、何かを生む場を目指すならば慎
> 重に扱う必要があるのではないかなと思いました。
パターンランゲージの存在が思考停止を助長するなら、それは大
問題ですね…。でもそれはどのようなことにもいえるのではない
かと思います。パターンランゲージや文章化そのもにさえ固有の
問題ではなく、実際の体験に基づいた経験知でさえも安直に応用
すれば、同様の結果を生むと思います。
経験知がつねに新たな経験で修正されるように、パターンラン
ゲージによる知識も新たな経験で修正されていくのではないか
と。1つ1つのパターンの内容よりもパターンをどう組み合わせ
るかが重要であり、それはパターンランゲージの外にあるもので
すからパターンランゲージによって思考の柔軟性は損なわれない
のではないでしょうか。このパターンの組み合わせ方法の非決定
性こそが多様性を生み出すものと思います。
またあるパターンランゲージがどのレベルを記述する(している)
かを分けて考える必要があると思います。議論の内容、議論の仕
方、議論の仕方の議論の仕方、など。(もちろん議論の内容につい
てパターンランゲージを構築するのはさすがに無理と思います
が。)
> 文章化されたパターンランゲージに触れ、知識として知る事で助けに
> なることがもちろんあると思っています。そして、あるパターンランゲ
> ージを知ったとしても身に付けるにはそれを使って経験することはやっ
> ぱり必要で、「経験し身に付ける」という事からは逃れることはできな
> いとも考えています。つまり、あるパタンランゲージを知ることが経験
> するという事を隔離するとは考えていません。
> ただ、知識を安易に得る事ができる機会から完全に隔離し経験を重視
> すべきものというのも、あるのではないかなと感じています。
>
> それは、繰り返しになってしまいますが、安易にパタンランゲージ
> (or 知識)に近づくと、ある能力を発揮す上で必要なメンタル面を育て
> る機会を逃してしまうように感じるからです。
ある集団が全員共通の行動原理に基づいて行動している限り、集
団はそれなりに安定しているものの、それに基づかない者が出現
した場合、それに対処するためには集団全体が非常に大きなコス
トを払わなければならない、ということを述べていると思います。
文書化の有無が行動原理の一律化を助長するか否かですが、その
ような内容を文書化すればもちろんするでしょう。ただ楽観的に
考えればそのような内容はパターンとしてありえても、あまり有
益/強力なものにならないのではないでしょうか。漠然といえば
パターンの価値(などということ自体が冒険ですが)はパターン間
の組み合わせの多様性にあるのではないかと思っています。上記
のような内容をパターンは、組み合わせが限定され貧相なものに
なるのではないでしょうか。限定しなければおそらくほぼ逆のパ
ターンの存在を許さないと、パターンが全体として完結しない
ように想像します。(したがって成長過程のパターンランゲージで
はその危惧はあります。)
> おまけですが、トヨタの工場に行って実感したのは、パターンランゲ
> ージがあるかどうかという目でみれば、パターンランゲージがあると思
> いましたが、現場の人たちはそういう概念は意識せずに活動していて、
> そういう状況から質のあるものを生み出しているということです。
> また、議論の上手い人たちばかりだとも到底思えません。そういうの
> を見るとパターンランゲージという概念が必要なのだろうかとさえ思い
> ました。
> 現場には、作業手順書などhowto的なものも整理されていますが、それ
> と同じぐらい曖昧な言葉が曖昧な繋がりの中で転がっています。その状
> 態だからこそ何かを生み出し続けているように感じました。
>
> もし、パターンランゲージを文章化し手にして共有できる形で用意す
> るとするならば、作業手順書のような説明の緻密なhowto的なものと完全
> に対比するものとして、詩や絵画のように、触れる人ごとにイメージの
> 膨らみ方に多様性を産むようなものであったなら面白いのではないかな
> と個人的には思いました。そういう風なものだとパターンランゲージを
> 適用する時に創意工夫ができるのではないかと思ったからです。
私自身はパターン間の結合の非決定性が全体としての多様性を生
み出すと考えていますが、上記の考えもおもしろいですね。
--
Michitaro Horiuchi / Access Co.,Ltd.
horiuchi@....jp / horiuti@....jp