> >> > > ベルトコンベア方式には大きな弱点があります。ベルトコンベア方式
> >> > > では、各工程の時間が均一でなければならないので、最も時間のかか
> >> > > る工程と同じ時間を他の工程にも割り当てる必要があります。工程数
> >> > > が20で、ある工程が20秒、他の工程が10秒かかるとすると、ベルトコ
> >> > > ンベア方式では400秒かかることになります。一人屋台生産方式で
> >> > > は、各工程に5割増しの時間がかかったとしても315秒ですみます。
> >> >
> >> > なんかずれてますね…わざわざ20のうち19もの工程の稼働率が半
> >> > 分にしかならないようなものを考えるなら、それだけで効率が悪
> >> > いことは明らかでしょう。わざわざターンアラウンドタイム云々
> >> > をいわなくても。
> >> >
> >> > ある方式を批判するのにその方式を適用するのがもっとも不適切
> >> > であることが自明なものを例に挙げる、といった意味の薄い論法
> >> > はいい加減卒業したいものです。
>
> 考えやすいように、極端なケースや理想化したケースを基に考えるというの
> は、普通の手法ですが?
>
> それに、ベルトコンベア方式を批判しているつもりはなく、ベルトコンベア
> 方式は万能ではなく弱点があるというごく当たり前のことを述べているに
> すぎません。
まず、批判自体は悪いことではなく、濱井さんの発言が批判で
あったとしても、それが適切に行われるなら(少なくとも私は)
問題ないと思います。
濱井さんは何について議論したいのでしょうか。各工程を均等に
分割できない場合はベルトコンベア式はうまく対応できない、と
いった半ば自明なことをテーマとするなら、それについては古く
から研究されているのですから、おおむね教科書どおりのコメン
トが先ずつき、それに対しても同様に欠点はあるのですから、こ
れまた同様のコメントがつくのではないですか。
実際にどのように弱点が克服されているか、あるいは克服できな
いものは何か、といったことを議論したいならば、あるていど対
象を絞る必要があるでしょう。なにしろベルトコンベア式がうま
く対処できないバリエーションはちょっと考えても無数にあるの
ですから。それとも無制限にそれを一つ一つ上げていくというの
が、濱井さんの意図するところなのでしょうか。(私には無謀なよ
うに感じますが)それならそういった意図である、と最初にこと
わった方が以後の議論がスムーズに進むでしょう。
あるいは自明なことをここであえて講義することが濱井さんの意
図なのでしょうか。その是非はコメントしませんが、それならや
はりその旨を示すべきではないかと思います。
私が想像する濱井さんが追究したいテーマはおそらく上記のいず
れでもなく、ベルトコンベア式がある分野で目覚しい成果を挙げ
たため、その影響で本来適切でないものにまでそれが無批判に適
用されているのではないか、ということではないかと思います。
(違うなら濱井さんの発言は意図がそれだけとらえにくいというこ
との傍証になるでしょう。)
それなら適切でない対象をある程度制限しなければ、有効な議論
にならないわけです。過去のスレッドでも同様のことを述べたと
思います。
要するにその制限として「均等に分割できないもの」ではもとも
との前提条件を否定しただけですから、意味を成さない、という
ことです。
> >> >> ・アーキテクト,プログラマ,テスタという区別がない
> >>
> >> 区別がある場合、各人員の比率と必要となる工数の比率が一致すること
> >> はまずありません。むしろ、アーキテクトは足りないがプログラマは
> >> 余っている、プログラマは足りないがテスタは余っている、というよう
> >> な状態が発生する方が普通です。こうなると、全体から見ると効率がい
> >> いとはかぎりません。
> >
> >「一般には」各人員の比率と必要となる工数の比率が一致するこ
> >とはないのですから、上記はむろん間違いではないわけですが、
> >一致する(させることができる)場合に有効な方式を、前提条件の
> >論理をそのまま裏返して、そうでない場合に有効でない、と主張
> >することに、どのような意味があるのでしょう。
>
> 単なる具体例の記述であり、主張などしていません。
> これも上記のも、分業により「ムダ」が発生する具体例です。
> [XP-jp:03193]の。
具体例になっておらず、前提条件を多少変形しただけなので、意
味が薄いと述べているのです。ただこれについてはコンベア式に
関する濱井さんの論法に関して考察するために引き合いに出しま
したが、取り立てて否定するものではありません(確かに私の文章
は必要以上に否定的な印象を与えたかもしれませんが)。
抽象化/一般化したものだけをベースに考える場合、慎重に行い、
適時外部に題材を求めないとトートロジー以上の成果が出てこな
い、ということです。(もちろん論理の組み合わせで生成される結
果は大なり小なりトートロジーなわけですが。)
> >生産性を議論する場合、全体としての生産性を考えなければなりません。
>
> へと続くものです。
>
> 分業は、部分的な生産性を向上させても、別のムダを発生させることがあ
> り、全体的な生産性を向上させるとは限りません。そういう例として挙げ
> たものです。
>
> こうした部分的な生産性の向上が必ずしも全体的な生産性向上につながらな
> い例を挙げて、部分的な生産性について考えるのではなく全体的な生産性に
> ついて考えるべきだと言っているのです。
>
> 多くのトヨタ生産方式に関する本には、「見かけの能率」といった言葉で、
> 部分的な生産性の向上を目指すことに対する戒めが書かれています。
言わんとしていることはおおむね推察しているつもりですが、私
が述べているのは以下のことです。(生産量のスレッドでもほぼ同
様のことを述べていますが。)
抽象的な論理のみで構成された主張としてはあまりに(自明なほ
ど)単純すぎて、おそらく濱井さん自身の(そして他の多くの方
の)予測の範囲内のコメントしか得られないと思われる。(平た
く言えば濱井さんにとっても私にとっても他の方々にとっても
つまらない。)
あくまで抽象的な話で進めるなら、もうすこし複雑な話から出
発する必要がある。(それに反比例して対象はある程度限定され
ることになるはず。)
逆に具体的な方向に乗り出す手もある。(例えば濱井さん自身が
非合理的と感じた対象を議題にあげるなど。)
現在生産性について適切なアプローチが行われていない原因を、
濱井さんがこれまで主張したような(単純化された)弱点が人々
に認識されていないためと考えるなら、それは濱井さんの認識
が間違っている。
実際の原因は、どういった対象に対してはその弱点を強く意識
しなくてはならないか(ある対象にある方法を適用すべきか否
か)の判断が困難なことであるから、それを議論しなければ意味
はなく、そのためにも対象の限定は必要。
濱井さんの読んだトヨタの本でも、抽象度が上がり過ぎないよう
に配慮されて書かれているのではないですか?こういった話はえ
てして抽象的な論理と現実の問題との接点に価値があるのですか
ら、限界を超えて対象を一般化してしまえば、価値はどこかへ霧
散してしまいます。
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Michitaro Horiuchi / Access Co.,Ltd.
horiuchi@....jp / horiuti@....jp