長谷川@テクノポートです。
----- Original Message -----
From: "Sakai Ryoji" <mrsa@....jp>
Sent: Monday, January 28, 2002 11:06 PM
> > 長谷川@テクノポートです。
...
> > ちょっと残業の問題とは外れますが、私がびっくりしたのは、
> > 『デマルコ大いに語る』にある「90年代の挑戦−学校」でした。
> > 何とソフトウェア開発者が学校に教えに行くことです。
> > 「若者の教育は究極のソフトウェア・プロジェクトである」には
> > 呆然としました。
> >
> う、そんなことが書かれているのですか、、、。(昔あったNHK
> 教育の「はたらくおじさん」みたいな)社会教育/進路指導の一環で
> ですか?今、この本を買わずにCMMのプロセス改善の本を買った
> ことをマジで後悔しています。
> # いや、CMMの本が悪いわけではなくて、「積ん読」しておく
> # ぐらいなら、、、って意味です(^^;。
「社会教育/進路指導の一環」とはちょっと違うと思っています。
20ページ足らずの章ですので、立ち読みも十分可能かと。
#間違っても、「役者ノート」からは読み始めないこと。
#「また、今度にしよう」ともなりかねません(^^。
要約はできそうにもありませんが、ちょっと思ったことを。
デマルコが言うのは「挑戦」ですが、とてもその一言では表せません。
一方では「今日の子供たちは、伝統的な学校教育では対応できない何かを
必要として」いて、その学校危機が社会危機であるという側面があります。
もう一方では、知的労働者としてのソフトウェア技術者の側面があります。
すなわち「伝達技能、システム化技能、オートメーション化技能、訓練技能」
といった技能をどういうわけか身に付けている人たちがいます。
この組み合わせが、とてもおもいしろい。
教育に参加するといっても、様々な形があり、RS232Cのケーブルが
ないため誇りのかぶったマシーンを生き返らせたり、開発ではとても
パワーが足りないマシーンを学校に寄付したり、先生とペアを組んで、
授業計画をスケジュールどおりに進めたり、とまさに一杯あります。
読んでいると、ソフトウェア開発者が働いているのは、設計や実装
というより、問題解決をすることじゃないかと思えてきます。
そして、その問題解決とは、理論のようなものではなく、目の前に
あるもの同士を、うまく配分、結合していく、そして様々な人が
自分のできることを持ち寄って解決することのように思えます。
教育の場では、そういう解決にもしかすると手を貸せるのではないか
という、そんな不思議な気持ちになってきます。
それと、そこには私自身が忘れていたフィードバックがあるようにも
思います。せっかく、お客が困っていたから改良してあげたのに、
「どうせするなら、ここもかっこよくしてよ」なんていう世界では
得られることが到底不可能なフィードバックです。
もちろん、簡単なことではないでしょうが、やりがいはありそうです。
> > 自分が小学生の前で、ソフトウェアについて話をしている場面を
> > 想像したとき、会社で残業している自分とは比較できないほどの
> > 何かがあるような気がします。残業が当り前の世界になると、
> > これも夢の夢の、また夢に終わってしまうような気がします。
> > #せいぜい夢ぐらいにしておきたいですね。
>
> 私は、実はソフトでもちょっと変わった業界にいるんですよね。
> ですから、逆にこの今の状況を高校生だった自分に語っていると、
> どういう進路、どういう勉強するかなー、と考えることがたまに
> あります。(裏を返せば、今の自分が若い自分(じゃなくてもいい
> んだけど)に語りたいことがあるんだなあ、と。)
本当に皆さん色々な経験をしていると思います。
職場に閉じ込めておくには、全くもったいない。
それほど現在の学校教育のことを知っているわけではないですが、
現実に働いている人たちとの直接的なふれあいがないというのも、
教育におけるアンチパターンを構成しているのかもしれませんね。
> ということで、メール送信のテストです(^^;。これで大丈夫かな?
おい、おい、おい!
-- 長谷川(hasegawa@....jp)