長谷川@テクノポートです。
----- Original Message -----
From: "Kaznari Miyata" <kaz_miyata@....jp>
Sent: Sunday, January 27, 2002 7:01 PM
> 自分のとこでは、人数が少なく、上司の理解も得られたので労働時間
> を減らす時の敵は、みんなの勤労意欲でした(笑)。最初にデマルコ
> の「デットライン」から残業時間を抜き出して話たのですが、全然効果
> が無く結局、「とっとと帰れ!(笑)」を連発して、現在の状況まで
> 来ました。
デッドラインでは、残業が生産性を低下させるだけでなく、
生産量すら増やすことがないというのが、肝ですね。
つまり、企業にとっては残業により実質的な利益を上げることができない。
でも、上記の場合は、企業側ではなく、労働者側の問題ですね。
ということで、ここでは企業側の問題はおいておきます。
そこには「勤労意欲」とかいった様々な要因があるとは思います。
しかし、過度の残業は、結局は会社依存症、仕事依存症というものを
生み出すことになるのではないでしょうか。もっと、会社や仕事から
離れた生活に時間を費やす必要があるように感じています。
早く帰って、ソフトウェア関連の本を読むのもいいです。
これじゃ仕事から離れることにならない、と思うかもしれませんが、
そうではなく、自分が今携わっている仕事から離れることが大切で、
ソフトウェア関連の本を読むというのは、客観的に見るという意味で
なかなか意味のあることと思います。
もちろん、ソフトウェア以外の物でもいいです。
また、自分の関心のあるMLに参加して、意見を聞いたり、
言ったりすることに時間を使うのもいいでしょう。
ボランティア活動に参加するなんかはもってこいです。
要は、Quality of Life を高めることですね。
ちょっと残業の問題とは外れますが、私がびっくりしたのは、
『デマルコ大いに語る』にある「90年代の挑戦−学校」でした。
何とソフトウェア開発者が学校に教えに行くことです。
「若者の教育は究極のソフトウェア・プロジェクトである」には
呆然としました。
こうなると、なぜ自分の会社にこだわるのか、ソフトウェア
という世界に閉じこもるのか、よくわからなくなります。
地域コミュニティに参加し、何らかの貢献をすることは、
そういった世界観を変えてしまうように思えます。
自分が小学生の前で、ソフトウェアについて話をしている場面を
想像したとき、会社で残業している自分とは比較できないほどの
何かがあるような気がします。残業が当り前の世界になると、
これも夢の夢の、また夢に終わってしまうような気がします。
#せいぜい夢ぐらいにしておきたいですね。
-- 長谷川(hasegawa@....jp)