濱井です。
2002/01/16 20:02:21 +0900にhoriuchi@....jpさんが送られた
メールに関する返信です。
私が言っているのは、生産量や生産性についてだけなんですが。
>定量的な分析が困難であることに異議をとなえる人はいないと思
>いますが。問題は困難だから放棄してしまうのか、現状用いるこ
>とのできる方法を適用範囲を見極めた上で、活用するかです。濱
>井さんの主張は極端に広い適用範囲を設定し、それを適切に扱え
>ないという理由で一切の分析を否定するものです。こんな乱暴な
>論法が許されるなら、一切の分析に対する努力は否定されるで
>しょう。
「一切を不定している」のは、Horiuchiさんでは?私は、部分部分の生産量は
計れないけど、全体の生産量は計れる方法を提唱しています。それに対して
部分部分の生産量が計れないからということで否定しているのは、Horiuchiさん
です。
部分部分の生産量を計ることが困難なら、計れるように努力する意味もある
でしょう。しかし、不可能であれば、計れるように努力することは全くの無駄
です。私が錬金術などを例に挙げたのには、無駄な努力になるということを
示す意味もありました。
>そして単にそれだけのことであれば、古来から言われていること
>だ、と述べているわけです。「経済活動におけるソフトウェアとい
>う視点」体系を構築するなら、現在の分析手法がなぜ必要とされて
>いるのか(本当に必要なのか?などを含めて)の考察が不可欠です。
>にもかかわらず何度それを促しても、既存の手法の欠点の指摘を
>繰り返すだけで、その方向には論を進めないのですから、何も目新
>しい議論の提出はない、と私が考えても無理からぬことではないで
>しょうか?
規模を生産量の指標として使う正当な理由があるというのでしょうか?
せいぜい、これまでそうやってきたから、他の人もそうやっているからと
いうような理由にすぎないと思いますが。それでは、これまで天動説が
正しいとされていたから天動説が正しいはずだと主張するようなものです。
私が唯一読んだことがあるのは、「雑誌の原稿料を原稿用紙の枚数でもらう
ようなもの」というようなものでしたが、それでは、書籍の印税が原稿用紙の
枚数と無関係なことが説明できません。