広沢と申します。
あまり議論に深入りする気はありませんが、少しだけ。
整理すると、
1) ソフトウェアの価値を客観的、定量的に計測するのは難しい
2) しかし、業務で行なう限りは生産性や効率を測る指標が欲しい
3) ソフトウェアの価値は最終的には、売上や利益に表れる
4) しかし、その中には営業その他の寄与やコストなども含まれる
ので、ソフトウェア単独部分を分離することは難しい
というのは、一応、ほとんどの方が認めておられる訳ですよね。
(細かな言葉や表現は間違いはあるかもしれませんが、大筋
ということで大目に見て下さい^^;)
で、意見が分かれるのが、3), 4)の状況はもちろん分かってはいて、
2)の観点から、限界は分かっているけれども、なんらかの経営/開発
指標に使えるものは導き出せないか、ということですよね。
最近、会社でMBAコースみたいな研修が(ほぼ)義務づけされている
ような状況で(それは勉強になって個人的にはありがたいんですが)、
会計を学んだりしたのですが、出てきた数字から経営判断を行なう場合、
必ずしも客観的で正確な数字がベースになっている訳ではないです。
例えば、コストの内訳の計算などでも、客観的に割出せない部分は
だいたいこのぐらいだろう、などという感じでとりあえず計算を
進めてしまったりします。勿論、全くいいかげんな数字ではなく、
常識的に考えた範囲内であったり、経験的、主観的にこのぐらいだろう、
となんらかの根拠はあるんでしょうが。私は勉強してて、
そんな部分があるのにはちょっとびっくりしましたが。
で、それから出てきた数字をもとに、どこが弱いから強化しようとか、
ここに経営資源を集中しようとか経営判断する訳です。
(コスト以外にも例えば、ブランド価値とか、正確には割出せない
けど、経営判断には使える指標は数多くあると思います)
途中で正確に客観的に割出せない部分があったとしても、全体的な
方向性が分かれば充分で、割出せないからといってやめてしまったら、
何も分析/判断ができなくなってしまいます。
本にも、数字はあくまでも数字であって、それにとらわれて経営判断
してはいけない、と繰り返し書いてあります。
XP的に言えば、多少不正確であったとしても、方向性が分かれば、
その都度、経営判断を右に左にハンドル操作することができ、全体として
うまくいくはずだと。:-)
濱井さんが懸念されておられることの一つは、
- 経験的、主観的な要素が入った分析をするのはしたい人は
すれば良い
- しかし、それが「標準」として広まると、それ以外の
人にも影響が出てしまうので問題である
ということではないでしょうか。
私の考える答えとしては、
- 不正確な部分の推定がもし誤っていれば、生産管理/経営判断の
誤りによって、その会社は市場原理でいずれは排斥されるわけで、
それはそれで問題ないのではないか。
というところでしょうか。
#排斥されて首にされる方はたまったもんではないかもしれませんが、
#まあ、それはそういう生産管理/経営判断をする会社を選んだ自分の
#責任もある、と考えるしかないのかな?
まあ、実際は他の部門や全体として利益があがっていれば、必ずしも
排斥されるとは限らないですから、ことはそう単純ではないでしょうが、
傾向としてはそうなるのかなぁと。
CMMでもなんでも、ある指標などが誤っていたり、あまりに不正確で
あったら、それはいずれ利益などに表れて、徐々に使われなくなったり、
より正確な指標が出てきたらそれにとって代わるんじゃないかなと、
結構、楽観的に考えてます。^^;
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★ 広沢 昌司 hirosawa@....jp ★