大野です。
> 「君に言いたいのは、生産性なんてものは目標がはっきりわかって
> いなければ、まったく意味を持たないっていうことだ」
>
>生産性というのは、目標(目的)への効率だからこそ意味を持つのです。
>開発それ自体は、目的ではありません。
結局、CMMは「目標がはっきりわかっている」ことを前提として、
そこへたどり着くための効率を改善する(あるいは評価する)ための
ものだということですね。
濱井さんのおっしゃる通り、その前提がない状態でCMMを使っても
「まったく意味を持たないってことだ」なんでしょうね。
とはいえ、「目標へ向かっているかどうか」の評価基準まで方法論
に期待するのは無理があるかなーとも思います。それがないからと
いってCMMをそこまで批判するのもちょっとかわいそうかなと。
目標へ向かうための効率を評価・改善するだけでも十分意味はあると
思います。そもそも万能な方法論などないわけですし。
濱井さんは、他に「目標へ向かっているかどうか」あたりまで
含めた方法論をご存知なのでしょうか?
>> 現実的には、基準がCMM一辺倒になることなどありえないのでは。
>
>そうでしょうか?
>「一億総火の玉だ」、「一億総懺悔」などと言っていた時代と
>日本人の国民性はたいして変わっていないように思います。
>横並びでバブルに踊っていたのは、そんなに昔ではないです。
うーん、確かにそれはそうかも・・。
ちょっと怖い気がしますね。
なんにせよCMMでもXPでもあくまで道具に過ぎないことを
忘れなければいいのだとは思いますが、なかなかそうならない
のが現実かもしれませんね。手段が目的化しないよう、常に
自戒が必要だなと再認識した次第です。