濱井です。
2001/12/19 16:48:38 +0900にkazusa.ohno@....jpさんが送られた
メールに関する返信です。
> 横からすみません。
1対1のメールではないので一向にかまわないでしょう。
# 1対1のメールだったら、失礼さより薄気味悪さを感じたでしょうが。
>>工場であろうと、ソフトウェア開発であろうと、どれだけ作ったか、どれ
>>だけ開発したかではなく、どれだけ売れたか、どれだけ儲かったかでまず
>>評価されるべきだと言っているのです。
>
> それは全くその通りだと思いますし、CMMがそのあたりを評価
>できないという点にも同意します。
>
> しかし、開発プロセスの生産性が評価できるだけでも十分に意味は
>あると思います。
開発プロセスの生産性を評価できていないと考えているので、私は
さんざん批判しているのですが。
あえてそれを生産性と呼ぶのなら、それは無意味な数値です。
例によって『ザ・ゴール』からですが、54ページにこのようなセリフが
あります。
「君に言いたいのは、生産性なんてものは目標がはっきりわかって
いなければ、まったく意味を持たないっていうことだ」
生産性というのは、目標(目的)への効率だからこそ意味を持つのです。
開発それ自体は、目的ではありません。
> 売れたかどうか、儲かったかどうかはCMMで評価するまでもなく
>投下コストと売り上げでわかるわけですし。
開発プロセスと「売れたかどうか、儲かったかどうか」が無関係なら
気にする必要はないですね。でも、もしそうならCMMを使って開発
プロセスを改善する必要も無いはずです。
>>斬新な機能の追加は、ソフトウェアの売れ行きにプラスの影響を与える
>>可能性が高いですが、開発工数の見積もりの精度にはマイナスです。
>>このように、CMMの基準とソフトウェアの売れ行きとには両立しがたい
>>点が少なくありません。
>>CMMの基準に従うと、かってのビジカルクのような革新的なソフトの開発
>>プロセスは最低の評価になります。
>
> CMMの基準に従えばそうですが、単に基準がCMM一辺倒でなければ
>よいのだと思いますが・・。
> 現実的には、基準がCMM一辺倒になることなどありえないのでは。
そうでしょうか?
「一億総火の玉だ」、「一億総懺悔」などと言っていた時代と
日本人の国民性はたいして変わっていないように思います。
横並びでバブルに踊っていたのは、そんなに昔ではないです。
>>>まったく同様なパッケージソフトを作るときに
>>>「その組織がどれくらいの品質で作れるか」が重要なんだと思いますが?
>
>>コピーにより、全く同じソフトができるわけですから、「まったく同様な
>>パッケージソフトを作る」ことを考えるのはほとんど無駄です。
>>それは、「車輪の再発明」に通じます。
>
> 揚げ足取りになってしまいそうですが。
> まこたんさんのおっしゃりたいのは、
> 「複数の組織に対して、ある同一の仕様書を出した場合に高品質で作れる
> のはどこか」
> というような話だと思います(違ったらすみません)。
> 車輪の再発明の話は当てはまらないはずです。
だとすると、パッケージソフトの話とうまくつながらないのですが。
渡された仕様書に応じてソフトウェアを開発するケースについては
CMMは有効かもしれません。[XP-jp:02902]で以下のように書いています。
hamai>発注元が詳細で正確な要求仕様を書いて発注するようなケースならCMMが
hamai>有効かもしれませんが、XPが前提としているような要求仕様があいまいで
hamai>変化しやすいケースでは、CMMに拘ると足をひっぱられることが多い
hamai>でしょう。