大野と申します。
 横からすみません。
>工場であろうと、ソフトウェア開発であろうと、どれだけ作ったか、どれ
>だけ開発したかではなく、どれだけ売れたか、どれだけ儲かったかでまず
>評価されるべきだと言っているのです。
 それは全くその通りだと思いますし、CMMがそのあたりを評価
できないという点にも同意します。
 しかし、開発プロセスの生産性が評価できるだけでも十分に意味は
あると思います。
 売れたかどうか、儲かったかどうかはCMMで評価するまでもなく
投下コストと売り上げでわかるわけですし。
>斬新な機能の追加は、ソフトウェアの売れ行きにプラスの影響を与える
>可能性が高いですが、開発工数の見積もりの精度にはマイナスです。
>このように、CMMの基準とソフトウェアの売れ行きとには両立しがたい
>点が少なくありません。
>CMMの基準に従うと、かってのビジカルクのような革新的なソフトの開発
>プロセスは最低の評価になります。
 CMMの基準に従えばそうですが、単に基準がCMM一辺倒でなければ
よいのだと思いますが・・。
 現実的には、基準がCMM一辺倒になることなどありえないのでは。
>>まったく同様なパッケージソフトを作るときに
>>「その組織がどれくらいの品質で作れるか」が重要なんだと思いますが?
>コピーにより、全く同じソフトができるわけですから、「まったく同様な
>パッケージソフトを作る」ことを考えるのはほとんど無駄です。
>それは、「車輪の再発明」に通じます。
 揚げ足取りになってしまいそうですが。
 まこたんさんのおっしゃりたいのは、
 「複数の組織に対して、ある同一の仕様書を出した場合に高品質で作れる
  のはどこか」
 というような話だと思います(違ったらすみません)。
 車輪の再発明の話は当てはまらないはずです。
 いかなる評価手法や開発方法論も万能ではありえないわけですから、
それを組み合わせて使うべしという当たり前の結論に個人的には
落ち着いてしまいます・・・。