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Date:  Mon, 22 Oct 2001 14:43:28 +0900
From:  hamai@....jp
Subject:  [XP-jp:02697] Re: XP と科学的管理法 (Re: XP 	と Taylorism)
To:  extremeprogramming-jp@....jp
Message-Id:  <200110220543.OAA01695@....jp>
In-Reply-To:  <200110192213.HAA06274@....jp>
References:  <200110192213.HAA06274@....jp>
X-Mail-Count: 02697

濱井です。
2001/10/20 07:13:46 +0900にwashi@....jpさんが送られた
メールに関する返信です。

>[XP-jp:02657]
>> そもそも、ソフトウェア開発では、同じものを開発しても意味がない
>> ので、同じ生産物を作る、同じプロセスで作業を遂行するといった、
>> Taylorismの前提が成り立ちません。
>> # それなのに無理に適用したりするからおかしなことになる:-<
>
>同様に、濱井さんのご指摘にあった上記における "同じ生産物を作る、
>同じプロセスで作業を遂行するといった" 前提は、テイラリズム
>(科学的管理法)には無いように思います。

全体としてか、要素としてかは別にして、同じ生産物とも同じプロセス
とも見なせなかったら、どうやって管理対象の優劣を判断するのですか?
優劣を判断せずに、どうやって管理が妥当だったか否か検証する
のですか?
妥当性を検証できないような「宗教的」管理法では、とても使い物に
ならないでしょう。

同じ生産物でも同じプロセスでもないのに管理できるとしたら、
作曲したり、小説を書いたり、学術研究したりすることもテイラリズム
で管理できるということになりませんか?テイラリズムによる管理自体
もテイラリズムで管理できるということになりませんか?


>[XP-jp:02657]
>> 「Coding Standars」などの文書標準や時間の見積もりって、XPに
>> 限らず、ソフトウェア開発のプロジェクトでは、ごく普通のことでは?
>> 無用の混乱を防ぐための標準化は、現在のほとんどのビジネスで普通の
>> ことだと思いますし、時間の見積りを行わないビジネスなど想像するのも
>> 困難です。
>
>しかしながら、"道具の標準化" という解決策が、19-20世紀初頭の製造工場と、
>現代のソフトウェア開発現場の両方にとって必要であった(ある)という事実は
>見逃すことが出来ず、従って上記の濱井さんのご指摘は適切ではないと感じます。
>
>ソフトウェア開発の現状として、同じチームやプロジェクト内で用いるコーディング
>規約やエディタが統一されていないことがよくある [XP-jp:01844] からこそ、
>XP ではコーディング標準を "ごく普通のこと" ながら解決策として明示しています。
>
>一方、19 世紀の後半や 20世紀の初頭において、労働者が用いる工具が標準化
>されていなかったからこそ、科学的管理では道具の標準化を解決策として
>明示しています。

コーディング標準や時間の見積りは、ソフトウェア開発においてXP*だけ*
の特徴ではない、と言っているつもりですが。

コーディング標準がXPにおいて明示されるのは、余分なドキュメントを
作らないXPにおいて、ソースプログラムのドキュメントとしての重要性が
他の開発手法に比べてはるかに高いからコーディング標準の重要性も
高くなるため、ということで充分説明できると思います。