濱井さん、みなさん
こんにちは、合木です。
On Wed, 17 Oct 2001 19:30:35 +0900
hamai-san wrote:
> 濱井です。
> 2001/10/17 17:18:06 +0900にhiranabe@....jpさんが送られた
> メールに関する返信です。
>
> >鷲崎さんの記事を紹介します.
> >
> >「XP と Taylorism」
> >
> >http://www.fuka.info.waseda.ac.jp/~washi/other/taylor.html
> >
> >XPの対極に捉えられるTalyorismですが,その枠組はXPとよくにている
> >ことが分かります.
>
> そうでしょうか?
> 捜せば、似ている点もあるというだけの気がします。
鷲崎さんか書かれているのは、具体的な手法を作り出したポリシー(哲学)に
類似している所があると書かれているのではないかと理解しました。
# 間違っていたら、ごめんなさい。
ただ、そう考えてみても、「stopwatch time study」ストップウオッチという
所が具体的になっているので、現在のXPでは相容れないように思いました。これ
は、濱田さんや上手さんのご指摘されている点だろうと理解します。
> そもそも、ソフトウェア開発では、同じものを開発しても意味がない
> ので、同じ生産物を作る、同じプロセスで作業を遂行するといった、
> Taylorismの前提が成り立ちません。
> # それなのに無理に適用したりするからおかしなことになる:-<
はい、そう思います。
濱井さんのお考えをお伺いできれば嬉しく思うのですが、例えばポリシー
を適用するのであるとすると、その産業的分類上の「前提が同じである必要
はない」とは考えられないでしょうか?
以下、鷲崎さんの文書から少し離れますが、なぜそういう風に考えるかを
書いて見ます。
まず、「Taylorismが持つポリシーの中で生かせるモノというのもあるの
ではないか」とか、「現代の方法論にそのポリシーがエッセンスとして入っ
ているのではないか」、という視点で見て、その結果を「それはなぜなんだ
ろうか」と歴史的なそれらの系譜から考えてみることは、それ自体無意味で
はないようにも思いますし、それをしてみる事が必要な企業というのもある
ように私は思っています。(濱井さんがそれを無意味と言っているというよ
うな捉えかたをしていると感じて反論しているわけではない事を書き添え
ておきます。あくまでも自分が思っていることを順番に書いているだけです)
例えば、テーラーの時間研究やギルブレスの動作研究を柱として体系付け
られた古典的IEの中での「作業標準」は、”良い品質の製品を、安く、早く楽
に作るために必要な「やり方」の規定”であったのですが、その後、メイヨー
等のホーソン実験を基礎にして発展していった行動科学の観点も入った時点
で、作業標準に対する考え方に”行動”が入り、”良い品質の製品を、安く、
早く楽に作るために必要な「やり方」と「行動」の規定”になったと理解し
ます。(間違いがありましたらご指摘ください)
そして、それが製造業ではうまく取り込まれながらも、ソフトウェア開発
においては、どちらの比率が多いかわかりませんが、「作業標準」の重要性
についての認識は甘かったり、やろうとしても難しさが有るなどから、そう
いった規定を作くりそれに添って活動している企業というのはとても少ない
と思います。
さらに、XPでも、作業標準のような規定のようなモノの重要さについて現
在のところ明示的に語られていないと理解しています。(認識違いがありま
したらご指摘ください)
そういった現状を作り出している背景としては、濱井さんが書いていらっ
しゃるように、ソフトウェア開発は『まったく』「同じものを開発していない
」所から来る難しさも含まれるのでしょう。
しかし、仮にXPでどんなに品質が良いものがつくられたとしても、濱井さ
んが記述されているように、できるだけ正確な「時間の見積り」がビジネス
では望まれるいう考えは変わらないと思います。それが正しければ、ボリュー
ムからのざっくりとした見積りだけではなく、標準時間として計測可能な部
分を見つけて作業方法と時間を規定し、見積りの精度を上げるという取り組
みの重要性は今後も変わらないように考えます。
そうであれば、ビジネスとしてモノを作る場合は、「stopwatch time study」
(時間見積り) という考え方が、例えば部分であろうと必要であるという事
にはならないでしょうか? もし、なるとしたらポリシーとして適用され得る
と言ってもよいという事になるだろうと考えますし、その他のプラクティス
(またはポリシー)についても同じようにビジネスとしてのモノ造りに必
要な考え方であるのかどうかを検証してみる事は意味があるように思います。
もしこの私の考え方が正しいという前提で整理してみますと、Taylorism
の考え方は「何のための考え方であるのか」を考えたり、その中でXPとの関
係性を見い出そうという取り組みもあって良いと思います。「道具の標準
化」や「計画部の分離」・「差別出来高給与」・「計画部との連絡」なども
当然といえば当然なのですが、企業レベルでのビジネスとしてのモノ造りに
おいてそれが必要であり、ソフトウェア開発において十分にそれらのポリシ
ーとしての重要性が検討されたり認識されていないという実態があるのであ
れば、歴史の系譜を辿って、やるべきことの再確認として具体的な手段レベ
ルでなく手段を作り出したポリシーレベルで「XPとよくにている/にていな
い」の段階を踏むのは意味があることのように私は思います。
そういう風に考えると、鷲崎さんが視点は興味深いですし、これからど
のように考えて行かれるのかについてもとても興味を持ちます。
蛇足ですが、XPの様な演繹的に経験し反省し改善するという取り組みでモ
ノを作り上げるやり方は、事例が増え実績が溜まっていくまでは、どんな
に説明しても普通の顧客にとって「安心できるモノ造り」には見えない部
分があると思います。それは、時間に関わる事であり約束に必要なもの、
結果として信頼に繋がるものだと思います。
その安心できない部分を安心に変えて貰えるような材料の一つに「作業
標準」は使えるのではないか思います。もちろん他にも安心に変える方法
はあるかもしれませんので、唯一の材料とは思いません。ただ可能性とし
て、XPにおいて顧客に安心してもらえる材料に対して今後どういうスタンス
を取っていくのか個人的には興味をもっていますし、その一つとして「作業
標準」について興味を持っております。作業標準が有効であれば、
「stopwatch time study」にも辿り付くように思います。
でわ。
--
Shigeru Gougi
E-mail :ANC04864@....jp