こんにちは、合木です。
On Tue, 04 Sep 2001 15:05:11 +0900
吉原日出彦(hidehiko yoshihara)-san wrote:
> こんにちは、吉原です。
>
> > 「現実のソフトウェアにいくつもの欠陥がリリース後残っているのは
> > なぜか?」ということを考えて欲しいのですが。
> >
> > リリース後欠陥が見つかれば。
> >
> > ・欠陥の修正
> > ・欠陥の広報
> > ・欠陥の問い合わせへの対応
> > ・製品やベンダーに対する評価の低下
> >
> > といったコストを支払わなければなりません。これらのコストは
> > リリース後に残っている欠陥が少なければ少ないほど、少なくなる
> > わけです。この点からだけでも、リリース前に欠陥を修正すれば
> > 修正するほどいいはずです。
> > ところが、現実のソフトウェアにはいくつもの欠陥がリリース後
> > 残っています。これは、リリース前に欠陥を修正することが、
> > 残っている欠陥が少なくなれば少なくなるほど困難になり、
> > 修正のためのコストが増大するからです。
僕には、吉原さんの言われていることが理解できました。
> リリース前の修正についても時間と共にコストが増大するため、
> その欠陥を黙認する方がよいと言われているのでしょうか。
「黙認するのが良い」とは言われていないと思いました。
「欠陥を見つけるのをどこかで止める必要がある。それは、コストが異常に
膨らみ見つかるかどうかさえ疑わしくなるからだ。」という現状について、
図から気付いたということを言われていると理解しました。
砂浜で宝捜しをするようなものでしょうか。
最初は、ぽつぽつ見つかり調子よく気分もいいですが、探し始める前にいくつ
宝があるというのがわかっていないと、いつ止めていいのかわからない。
それは、すべて見つかったかどうかわからないし、時間が経つとともに夜が迫り
見つけるのがむずかしくなる。大量に人を投入してみても「やるだけやった」と
いう満足だけで、まだ残っているかもしれない。
そして、もうだめだと思ってやめた後は、偶然砂浜で遊んでいる人がいつか見つ
けるかもしれないなと{期待する|夢を見る|思ったりする}。
「完璧なモノを作れない」という前提の上で、設計の時にも実装の時にも、この
ような心理状態は有るように思います。
結果、完璧でないけれども、どこかで何かの判断で止めないといけない。
実装は、割と簡単に今気が付かなければ先に進むことを考え「あとは気がついた時
に直そう」と言いいやすいように思いますが、欠陥の除去はなかなかそうは言い難
いものに感じます。そのため工程を止める良い判断指針がなかったり、生真面目に
立ち向かえば立ち向かうほどコストが膨らむ。
# どこでやめるかは関係者間での合意がないと、良心が測られそうで怖い。f^^;
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Shigeru Gougi
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