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Date:  Fri, 22 Feb 2002 22:23:16 +0900
From:  "hasegawa" <hasegawa@....jp>
Subject:  [XP-jp:03246] パターンランゲージについてのおしゃべり
To:  <extremeprogramming-jp@....jp>
Message-Id:  <036001c1bba4$192d62c0$660aa8c0@gp6x866>
References:  <009701c1b2bc$7d5a4bf0$660aa8c0@gp6x866> <000101c1b2dc$58b12c40$4813fea9@....jp> <20020213192242.7EA2.ANC04864@....COM>
X-Mail-Count: 03246

長谷川@テクノポートです。

えら遅れのメールですみません。
表題と内容が食い違ってきたので、
表題を変えさせてもらいました。

ちょっと長い文になり、かつXPとは余り関係ないので、
読むときには気をつけてください(^^。

#うう、これでようやく自由の身だ!

----- Original Message ----- 
From: "ANC04864" <ANC04864@....COM>
Sent: Wednesday, February 13, 2002 7:24 PM

> こんにちは、ごうぎです。

ご無沙汰しています。
ちょっと細切れになってしまいましたが、
ご容赦のほど、お願いします。

>  返信元のメールを読んで、この場で長谷川さんの行われた語り掛けが
> 影響を与え、良い方向に進もうとしているように感じました。

「語り掛け」、よくぞ言ってくれました、感謝です。
#といっても、良い方向になったかはわかりませんが(^^。

>  また、見逃してはいけないことは、この落ち着きを取り戻すまでに色
> んな方がこの場を修復しようとアクションをされたことなのだろうと思
> います。そしてその多くは議論仕方の悪さを正すというよりも、良い議
> 論をするための工夫であったように思います。

議論することが目的であるMLは、基本的にバランスが
取れないように感じています。バランスを取るにも議論が
起こるから。私がお気に入りのMLは、常にMLそのものが
目的のひとつになっている所です。

そして、現象レベルですが、ML自体の変化に関して、
それまでROMであった人が語り始めるという光景を目にします。
なぜか?もしかして、MLでの話を一番聞きたがっているのは、
ROMの人かも知れません。

#このMLでは、私もROM系なので、すこしわかります。
#単純に、話を聞きたいんですね。

>  さらに平鍋さんが調停されことなく辛抱された事も場を育てることに
> なったように思いますし、そういった力関係が長谷川さんの語りかけを
> 生んだのだろうとも思います。

関係者、特に管理者が調停をすることは、本当に難しいと思います。
#調停は第三者に、っていうパターンもありかも。

>  まだぱっと晴れた状況には成りきっていないように感じますが、場を
> 修復しようとされた方がたくさんいらっしゃいますので、少しずつ良い
> 雰囲気になり今まで以上に良い場になるんじゃないかなと感じておりま
> す。(^o^)

文化的な見方なのかも知れませんが、こういった場合のアクションにも
幾通りかあると思います。まるで、何事もなかったかのように無視する、
そんなのはだめだめ、と抑制する。この2つは両極端です。
そして、実際、そのような両極端には採用したくなるような解答は
ありません。ただ、各自が感じたことを言える環境を提供できれば、
また道が開けるような気もしています。

>  さて、本題ですが、もう一つメールを書いてみようと思ったきっかけ
> がありました。それは、「議論のためのデザインパターン」を堀内さん
> が望まれていらっしゃる事、また、議論のやり方に終始拘られているの
> を読み、僕はそれがとても気になり、(堀内さんの意見への否定的な意味
> 合いではなく) 本当にそれは必要なのだろうかと素朴に思い考えるきっ
> かけを得た事にあります。

これを聞いたとき、へえー、そんなことを考える人もいるんだ、と
ちょっとびっくりしました。これは、いい意味で、です。少なくとも、
そういうパターンランゲージを想像して見る、これって案外重要です。

ただ、通常、こういう場合、言い出しっぺが書くんですよね。
どこかのパターン系のサイトにあったと思いますが、「なぜ、しかじかの
パターンランゲージがないのか?それは、あなたが書かないからです」って。

>  以下はその考えてみた事を書いてみますが、当たり前のことをぐたぐ
> たと浅いレベルで書いているいるだけなので気が引けますが、おゆるし
> ください。僕には手に負えそうにないので、この場でなくともみなさん
> がどこかで考えてくだされば幸いです。

本当に誠実な気持ちであるとき、最も難しいのは、素朴な質問です(^^。
#子供の質問は、その典型です。これに答えられる者こそ、プロかと。

>  最初の問は、例えば「MLで議論するためのパターンランゲージ」が文
> 章として存在しこの場で知識として共有されていたら、今回の経験した
> 様々な方のアクションがさらに良い形で現れていたり、スムーズな問題
> 解決が行われただろうか、またそもそも場が荒れるという事もなかった
> だろうかというものです。
>  これについては、僕はすべてそうはならないのではないのではないか
> と思いました。それは、一つは、心理的にそういうのがあるとかえって
> アクションしにくくないかなと、ただただ単純に思うからです。f^^;

知識とアクションのジレンマは誰しも味わうものだと思います。
というか、既に大昔から指摘されてきたことですが。
知識過剰時代(人工物が多くなればなるほど、その傾向は出てくる)というか、
頭でっかちになって、自分の足で歩くのもままならない、っていうところでしょうか。

ただ、パターンランゲージは、それが言語を目指しているように、
単に知識としてあるだけでは、意味がないと思います。
パターンランゲージであるためには、何らかの構造が構築されなければ
ならないと思っています。建築のように、物理的な空間での構造である
場合もあれば、ソフトウェアのように、仮想的な空間での構造である場合、
さらに、日常的な世界での習慣のような構造であるかもしれませんが、
何らかの構造として構成されなければ、パターンランゲージは機能して
いないと思っています。

といっても、それが共有された場合、一体どういう会話が
やり取りされるのかは、全く想像の域を越えていますが。

>  また、そのパターンランゲージが形式的なものであったならば、仮に
> それにより早期に場が落ち着いたとしても、何かを生むということもな
> く、何かを生む場に育つということもないようにも思いました。

#「形式的なもの」が私のイメージと相容れないので、
#ちょっと難しいですが。

これは、問題を自分で解く前に、解答が既にあるというケースですね。
解答が既にあるから、自分で何かをすることもなく、このため、その
経験が何かを生み出すこともないと。

ただ、よく言われているように、パターンは創発的で、
性格としても生成的です。だから、もしかすると、
そういう状況も最大限に活かすかも知れません(^^。

>  もちろんそれ(パターンランゲージや議論の仕方に関する本など)を
> 必要とする状況の場もあるでしょうが、何かを生む場を目指すならば慎
> 重に扱う必要があるのではないかなと思いました。ここら辺についての
> 考えは、場に任せるということに努め調停されなかった平鍋さんの考え
> とも関係するように思いました。

あくまで私の推測に過ぎませんが、平鍋さんが介入してこなかった
ことそれ自身が、ひとつのパターンであったように感じています。

>  二つ目の問は、「MLで議論をするためのパターンランゲージ」があ
> れば、それが無い場合よりも議論により多くのモノを生むだろうかとい
> うものです。

ちょっと逸れるかも知れませんが、余りに多くのものを生み出すのも、
これまた問題なのではないかと。

>  これについては、パタンランゲージとして記述された文章がある事で
> 、少ない時間で知識を手に入れ、さらにその知識を使って行動すること
> で、誰もが早く良い議論を行えるということがあったとしても、そうや
> って手に入れたものだけでは、長い目でみると何かを生みだす力はとて
> もよわいのではないかと思いました。...(中断)...

HowToものの場合は、当てはまるかも知れません。
でも、パターンランゲージは決して少ない時間で知識を手にいれることを
可能にしてくれるとは思えません。むしろ、もっと長い付き合いを強要する
ように感じています。だから、現代のような、効率優先、即戦力といった
ものとは、ちょっと合わないのかもしれないと感じています。

#PLoPには急がせるなどという傾向はほとんど見当たらない。
#あるとすれば、ゲームに間に遅れそうなときぐらいか。

> ...(継続)...それは、議論のやり方そのものが
> 何かを生むというよりは、議論をしようとして起きた失敗や苦労の共通
> 体験により何かを生むのではないかと思うからです。そう思うのは、日
> 本人は議論の機会が少ないので平均的に議論の能力が低いということが
> 言われますが、僕は議論の上手くない人を受け入れるメンタル面が育っ
> ていないという事も同時にあるように思え、何かを生み出すには議論の
> 方法よりもメンタル面を育てるという課題に取組む方が重要に思え、さ
> らにその取り組みは失敗や苦労を乗り越える共通経験からくると考える
> からです。

私自身、失敗や苦労から多くのことを学んだと思っています。
そして、確かに共通体験ではあるのですが、それがどこまで、
そして何を共有できたのかが定かではありません。

失敗や苦労から多くのことを学んだ、と言いましたが、
個人的な側面がかなり多いと思っています。
つまり、確かに共通体験ではあったとは思いますが、
それに対する感じ方、考え方はそれぞれの人で全く違っていて、
そこまでは共有しなかったように感じています。

戦争体験の場合と全く同じだと思います。協力しあうという以外、
ほとんどが個人体験であったように思います。

>  例えば、優秀な人たちは、優秀な人たちだけで良い議論をする機会は
> あるでしょうが、その場は同じようなレベルや関心毎を持った人の集ま
> りなのでメンタル面を育むための力は弱いように思えます。

私が想像するに、これは「人」の問題ではなく、その場の目的に
よるのではないかと思います。学会のML、単純に関心を持つ人のMLでは、
全然違うような気がします(といって、学会のMLとは無縁なのですが)。

>  それよりも、多様な人たちと議論をする機会の方がそれを育む力は強
> いように思います。その多様な人の中には議論の下手な人上手い人も含
> まれます。

多様な人たちとのやり取りは、楽しみであり、
かつ不安なものでもあります。この場合は、
多様な「人」ですが、多様な「考え方」、
そして多様な「表現」があります。

そして、そのうち、最も単純そうに見える、「多様な表現」で
躓くケースも多々あるように思います。こういう場合、言葉
そのものよりもこだわると、益々錯綜を極めかねません。

つまり、多様性に向かうという性向を活性化させるには、
同時に、ある程度のフォローが必須なんでしょうね。
信頼は、信頼に値する行動よりも、少し前に与えなければならない、
というデマルコの考えとも通じる何かがありそうです。

>  また、今回は、「ぎすぎすした中から何か生まれるという事はないと
> いう経験」からアクションされた方が多かったのではないのかなと思い
> ますが、それは知識というよりも経験からくる感覚に思えます。
>  多分、「ぎすぎす」という状態は、場に受け入れられない人がいる時
> に起きるものではないだろうかと思いますが、それは多様な人たちとの
> 議論の機会が少ないところから来ているように思えます。そして、今回
> 多くの人が修復しようとされましたが、それはぎすぎすした状況に対し
> ての場の修復のための働き掛けであった様に見えました。

バランスというか、配分というか、そういうものが
狂い出しているという感覚があるんでしょうね。

>  上記を読むと文章力が低いことも手伝って、アンチ「パターンランゲ
> ージ」と感じられてしまうかもしれませんので、もうほんのちょとだけ
> 補足する事を書かせて頂きます。
>  僕自身はアンチの立場に立っているのではなく、「付き合い方を慎重
> に!」という立場にたっています。

「付き合い方を慎重に!」、まさに基本中の基本ですね。
難しいかも知れませんが、そこから得られるものは、
何にもまして、おいしいものです(^^。

>  文章化されたパターンランゲージに触れ、知識として知る事で助けに
> なることがもちろんあると思っています。そして、あるパターンランゲ
> ージを知ったとしても身に付けるにはそれを使って経験することはやっ
> ぱり必要で、「経験し身に付ける」という事からは逃れることはできな
> いとも考えています。つまり、あるパタンランゲージを知ることが経験
> するという事を隔離するとは考えていません。

というか、修行そのものとして、パターンランゲージを
考えるほうが、わかりやすいのかもしれません。
つまり、知識として知るだけでは、パターンランゲージを
身に付けていないどころか、何であるかさえわかっていないと。

>  ただ、知識を安易に得る事ができる機会から完全に隔離し経験を重視
> すべきものというのも、あるのではないかなと感じています。
>  それは、繰り返しになってしまいますが、安易にパタンランゲージ
> (or 知識)に近づくと、ある能力を発揮す上で必要なメンタル面を育て
> る機会を逃してしまうように感じるからです。
>  そして、曖昧ながら、MLという場で活動する能力を身に付けるとい
> うのはそれに相当するのではないかなと漠然と思っています。

外の知識をそのまま持ってくると、確かに豊かさが少なくなる
ように感じることがあります。これは、メンタル面がなおざりに
された状態で取り込まれることとも関係しているかもしれません。

そして、人がごく自然に振舞える状況であれば、
それだけで、豊富な何かが生まれてくるように思っています。
そして、「人がごく自然に振舞える状況」を作り出そうとしているのが、
パターンランゲージのような気がします。
そして、これが案外、難しい(^^。

>   簡単な例をあげれば、一人のレベルで言えば叩かれるとか恥をかくとい
> うこと、他の人にとってはどう受け入れるかという葛藤、それらが必要
> ではないかということです。

個人的には、余りそういう状況は好きになれません(^^。
とにかく、ストレスのたまるところは、ちょっと避けたいです。
#避けられないケースも多々あるので、特に。

>  ただ、バランス感覚の良い人にとってはその必要はないのかもしれず、
> 場によってはそれは避けたいと思う所もあるかもしれず、考察は相変わ
> らずいい加減で恐縮であります。f--;

バランス感覚って、何なんでしょうね。
一部は持って生まれたものもあるかもしれませんが、
どうも築き上げられたもののような気がしています。

>  上記のように考えて、改めて今考えているのは、議論がうまくない人
> に注意を施すことと、議論がうまくない人がいたとしてそういう人を
> 受け入れることとのバランスであり、そのバランスを生み出す原理です。
>  これは多分僕にとっては頭で考えても永遠に解けない問いになりそう
> な予感がします。僕にとっては、きっとこの場も含めて色んな場での経
> 験で養われる感覚なのではないかと思います。

原理と来ましたね。なら、私は構造といいましょう(^^;。

話はかけ離れますが、冬になると私は事務所のドアを触る前に、
必ず指でたたきます。これは静電気にあたられるのが嫌いだからです。
私は考え事をしていると良く忘れます。改札から出るとき、回数券を
入れたのはいいが取るのを忘れてしまいます。自動販売機でタバコを
買っても、お釣りを取り忘れたりします。

しかし、このドアに関しては、おそらく忘れてすぐに握ることは
まずないと思っています。そして、これは冬以外には起こりません。
思うに、反射系に対しても、十分何らかの構造を構築しうるのでは
ないかと考えています。

つまり、原理というよりは、そうなる構造を作り出すことなん
じゃないかな、と。そして、生物はそれをかなり利用していると。

>   おまけですが、トヨタの工場に行って実感したのは、パターンランゲ
> ージがあるかどうかという目でみれば、パターンランゲージがあると思
> いましたが、現場の人たちはそういう概念は意識せずに活動していて、
> そういう状況から質のあるものを生み出しているということです。

私も、見学と読書で、パターンランゲージと呼びうるものが
あると思いました。本では、いくつもの方言が出てきます。
トヨタ工場で働いている人が、そういったシステムについて、
人と話をする場合、自分達の方言を使わずに果たして話せるのか、
疑問に思ったほどです。

「意識せずに」、これにはいい面と悪い面があるように思っています。
いい面は、負荷にならないということだと思います。そして、
悪い面は、意識してしまうと、どうなるかなんだと思います。

人間、長い歴史の中で、何度か自分を意識してしまう時期があると
思います。そういう場合、どうも上手くいかないんですよね。
確かに意識せずにというのは、いい世界なのかも知れません。

意識できない場合の問題は、そこから逃れられないこと
なのかもしれません。パターンランゲージは、最後には
捨てるものなので、「意識せずに」捨てることは難しいかと。

>  また、議論の上手い人たちばかりだとも到底思えません。そういうの
> を見るとパターンランゲージという概念が必要なのだろうかとさえ思い
> ました。

これに似た議論は『形の合成に関するノート』に、
Unselfconcious ProcessとSelf-conscious process と
して出てきます。

>  現場には、作業手順書などhowto的なものも整理されていますが、それ
> と同じぐらい曖昧な言葉が曖昧な繋がりの中で転がっています。その状
> 態だからこそ何かを生み出し続けているように感じました。

「曖昧な言葉」、これは面白いですね。
これって、言語的見地からすると一種の機能障害なんじゃないかと
思っています。しかし、そういう言葉にこそ、エネルギーが集中する
傾向があります。これは、言葉や概念、さらには本質にがんじがらめに
されることから離れて、初めてある種自然な状態になるかと。

>  もし、パターンランゲージを文章化し手にして共有できる形で用意す
> るとするならば、作業手順書のような説明の緻密なhowto的なものと完全
> に対比するものとして、詩や絵画のように、触れる人ごとにイメージの
> 膨らみ方に多様性を産むようなものであったなら面白いのではないかな
> と個人的には思いました。そういう風なものだとパターンランゲージを
> 適用する時に創意工夫ができるのではないかと思ったからです。

パターンランゲージには、芸術につながるものが多々あると
感じています。ある意味では、同じ事をしているのかも知れません。
実際、パターンランゲージも芸術もカルチャから生まれてくるのですし、
双生児とも言えるかもしれません。

>  それはきっと論理的に緻密に記述されたものではなく、表現方法は色
> 々許され、抽象的・比喩的・観念的・理念的などそれらを組み合わせて
> 言えるようものであるような気がします。ただ、こういったものの記述
> はとても難しいということもわかりますので悩ましくも思います。

様々なものを組み合わせて構築すること、そのものなのかも知れません。
Alexanderがこだわる色彩にしても、それほど構造に関係するとは思えません。
しかし、実際はそれが構造を完成させるようにも見えます。

コンクリートだけでビルを作ることはできないし、鉄筋だけでもそうです。
鉄筋だけの建物を見ると、誰でもまだ完成されていないんだと思います。
全体性を完成させる、これこそAlexanderの目指したもののように思います。

>   蛇足ですが、アレクサンダーのパターンの記述形式に写真があります
> が、写真から色々と想像できるという点で僕はとても好きです。(^^)

これも、言葉だけでは、パターンランゲージを完成できないと、
理解している証拠ですね。

>  相変わらず取り留めないものになりました。
>   ではでは。

私も、議論ではなく、あくまで、合木さんのメールに対する
個人的な感想と書かせてもらいました。

> #花粉症マジかでちょっと憂鬱です。

そうでしたね。今年は、花粉発生の時期が早いと聞きました。
気をつけてくださいね。

-- 長谷川(hasegawa@....jp)