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Date:  Wed, 13 Feb 2002 19:24:13 +0900
From:  ANC04864 <ANC04864@....COM>
Subject:  [XP-jp:03213] Re: トヨタ生産方式と XP
Sender:  ANC04864 <ANC04864@....COM>
To:  extremeprogramming-jp@....jp
Message-Id:  <20020213192242.7EA2.ANC04864@....COM>
In-Reply-To:  <000101c1b2dc$58b12c40$4813fea9@....jp>
References:  <009701c1b2bc$7d5a4bf0$660aa8c0@gp6x866> <000101c1b2dc$58b12c40$4813fea9@....jp>
X-Mail-Count: 03213

こんにちは、ごうぎです。

On Mon, 11 Feb 2002 18:12:52 +0900
"M.Horiuchi" <horiuchi@....jp> wrote:
:
> なかなか考えさせられる話です。正直感動しました。(文中の
> "Horiuchi"には異論があり反論したい部分のありますが、泥沼
> になるだけなのでやめておきましょう。)

 忙しくしていて落ち着いて読めずにおり、一連のスレッドをやっと読
み終えました。色々と考えさせられましたし勉強になりました。ありが
とうございます。
 また、タイミングの悪い反応になっているかと思いますが、少し書か
せてください。

 返信元のメールを読んで、この場で長谷川さんの行われた語り掛けが
影響を与え、良い方向に進もうとしているように感じました。
 また、見逃してはいけないことは、この落ち着きを取り戻すまでに色
んな方がこの場を修復しようとアクションをされたことなのだろうと思
います。そしてその多くは議論仕方の悪さを正すというよりも、良い議
論をするための工夫であったように思います。
 さらに平鍋さんが調停されことなく辛抱された事も場を育てることに
なったように思いますし、そういった力関係が長谷川さんの語りかけを
生んだのだろうとも思います。
 まだぱっと晴れた状況には成りきっていないように感じますが、場を
修復しようとされた方がたくさんいらっしゃいますので、少しずつ良い
雰囲気になり今まで以上に良い場になるんじゃないかなと感じておりま
す。(^o^)

             *   *   *

 さて、本題ですが、もう一つメールを書いてみようと思ったきっかけ
がありました。それは、「議論のためのデザインパターン」を堀内さん
が望まれていらっしゃる事、また、議論のやり方に終始拘られているの
を読み、僕はそれがとても気になり、(堀内さんの意見への否定的な意味
合いではなく) 本当にそれは必要なのだろうかと素朴に思い考えるきっ
かけを得た事にあります。

 以下はその考えてみた事を書いてみますが、当たり前のことをぐたぐ
たと浅いレベルで書いているいるだけなので気が引けますが、おゆるし
ください。僕には手に負えそうにないので、この場でなくともみなさん
がどこかで考えてくだされば幸いです。

            *   *   *

  とってもいい加減ですが、二つの問を立て考えみました。

 最初の問は、例えば「MLで議論するためのパターンランゲージ」が文
章として存在しこの場で知識として共有されていたら、今回の経験した
様々な方のアクションがさらに良い形で現れていたり、スムーズな問題
解決が行われただろうか、またそもそも場が荒れるという事もなかった
だろうかというものです。
 これについては、僕はすべてそうはならないのではないのではないか
と思いました。それは、一つは、心理的にそういうのがあるとかえって
アクションしにくくないかなと、ただただ単純に思うからです。f^^;
 また、そのパターンランゲージが形式的なものであったならば、仮に
それにより早期に場が落ち着いたとしても、何かを生むということもな
く、何かを生む場に育つということもないようにも思いました。
 もちろんそれ(パターンランゲージや議論の仕方に関する本など)を
必要とする状況の場もあるでしょうが、何かを生む場を目指すならば慎
重に扱う必要があるのではないかなと思いました。ここら辺についての
考えは、場に任せるということに努め調停されなかった平鍋さんの考え
とも関係するように思いました。

 二つ目の問は、「MLで議論をするためのパターンランゲージ」があ
れば、それが無い場合よりも議論により多くのモノを生むだろうかとい
うものです。
 これについては、パタンランゲージとして記述された文章がある事で
、少ない時間で知識を手に入れ、さらにその知識を使って行動すること
で、誰もが早く良い議論を行えるということがあったとしても、そうや
って手に入れたものだけでは、長い目でみると何かを生みだす力はとて
もよわいのではないかと思いました。それは、議論のやり方そのものが
何かを生むというよりは、議論をしようとして起きた失敗や苦労の共通
体験により何かを生むのではないかと思うからです。そう思うのは、日
本人は議論の機会が少ないので平均的に議論の能力が低いということが
言われますが、僕は議論の上手くない人を受け入れるメンタル面が育っ
ていないという事も同時にあるように思え、何かを生み出すには議論の
方法よりもメンタル面を育てるという課題に取組む方が重要に思え、さ
らにその取り組みは失敗や苦労を乗り越える共通経験からくると考える
からです。
 例えば、優秀な人たちは、優秀な人たちだけで良い議論をする機会は
あるでしょうが、その場は同じようなレベルや関心毎を持った人の集ま
りなのでメンタル面を育むための力は弱いように思えます。
 それよりも、多様な人たちと議論をする機会の方がそれを育む力は強
いように思います。その多様な人の中には議論の下手な人上手い人も含
まれます。
 また、今回は、「ぎすぎすした中から何か生まれるという事はないと
いう経験」からアクションされた方が多かったのではないのかなと思い
ますが、それは知識というよりも経験からくる感覚に思えます。
 多分、「ぎすぎす」という状態は、場に受け入れられない人がいる時
に起きるものではないだろうかと思いますが、それは多様な人たちとの
議論の機会が少ないところから来ているように思えます。そして、今回
多くの人が修復しようとされましたが、それはぎすぎすした状況に対し
ての場の修復のための働き掛けであった様に見えました。
 ここら辺の考えは、いい加減なものとなっているとも思いますので、
みなさんのアドバイスを頂ければ幸いです。

 上記を読むと文章力が低いことも手伝って、アンチ「パターンランゲ
ージ」と感じられてしまうかもしれませんので、もうほんのちょとだけ
補足する事を書かせて頂きます。
 僕自身はアンチの立場に立っているのではなく、「付き合い方を慎重
に!」という立場にたっています。
 文章化されたパターンランゲージに触れ、知識として知る事で助けに
なることがもちろんあると思っています。そして、あるパターンランゲ
ージを知ったとしても身に付けるにはそれを使って経験することはやっ
ぱり必要で、「経験し身に付ける」という事からは逃れることはできな
いとも考えています。つまり、あるパタンランゲージを知ることが経験
するという事を隔離するとは考えていません。
 ただ、知識を安易に得る事ができる機会から完全に隔離し経験を重視
すべきものというのも、あるのではないかなと感じています。
 それは、繰り返しになってしまいますが、安易にパタンランゲージ
(or 知識)に近づくと、ある能力を発揮す上で必要なメンタル面を育て
る機会を逃してしまうように感じるからです。
 そして、曖昧ながら、MLという場で活動する能力を身に付けるとい
うのはそれに相当するのではないかなと漠然と思っています。
  簡単な例をあげれば、一人のレベルで言えば叩かれるとか恥をかくとい
うこと、他の人にとってはどう受け入れるかという葛藤、それらが必要
ではないかということです。

 ただ、バランス感覚の良い人にとってはその必要はないのかもしれず、
場によってはそれは避けたいと思う所もあるかもしれず、考察は相変わ
らずいい加減で恐縮であります。f--;

 上記のように考えて、改めて今考えているのは、議論がうまくない人
に注意を施すことと、議論がうまくない人がいたとしてそういう人を
受け入れることとのバランスであり、そのバランスを生み出す原理です。
 これは多分僕にとっては頭で考えても永遠に解けない問いになりそう
な予感がします。僕にとっては、きっとこの場も含めて色んな場での経
験で養われる感覚なのではないかと思います。

             *   *   *

  おまけですが、トヨタの工場に行って実感したのは、パターンランゲ
ージがあるかどうかという目でみれば、パターンランゲージがあると思
いましたが、現場の人たちはそういう概念は意識せずに活動していて、
そういう状況から質のあるものを生み出しているということです。
 また、議論の上手い人たちばかりだとも到底思えません。そういうの
を見るとパターンランゲージという概念が必要なのだろうかとさえ思い
ました。
 現場には、作業手順書などhowto的なものも整理されていますが、それ
と同じぐらい曖昧な言葉が曖昧な繋がりの中で転がっています。その状
態だからこそ何かを生み出し続けているように感じました。

 もし、パターンランゲージを文章化し手にして共有できる形で用意す
るとするならば、作業手順書のような説明の緻密なhowto的なものと完全
に対比するものとして、詩や絵画のように、触れる人ごとにイメージの
膨らみ方に多様性を産むようなものであったなら面白いのではないかな
と個人的には思いました。そういう風なものだとパターンランゲージを
適用する時に創意工夫ができるのではないかと思ったからです。
 それはきっと論理的に緻密に記述されたものではなく、表現方法は色
々許され、抽象的・比喩的・観念的・理念的などそれらを組み合わせて
言えるようものであるような気がします。ただ、こういったものの記述
はとても難しいということもわかりますので悩ましくも思います。

  蛇足ですが、アレクサンダーのパターンの記述形式に写真があります
が、写真から色々と想像できるという点で僕はとても好きです。(^^)

 相変わらず取り留めないものになりました。
  ではでは。

#花粉症マジかでちょっと憂鬱です。
-- 
Shigeru GOUGI <ANC04864@....JP>
http://www.post.self.ne.jp/~gougi (クラッシュ中)