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Date:  Wed, 16 Jan 2002 20:02:21 +0900
From:  "M.Horiuchi" <horiuchi@....jp>
Subject:  [XP-jp:03002] Re: 生産量  (was CMM  と  XP)
To:  <extremeprogramming-jp@....jp>
Message-Id:  <000001c19e7d$45336020$96424e9d@....jp>
In-Reply-To:  <3C453DE3140.0683S-NAKANO@....jp>
X-Mail-Count: 03002

> > > 重要なのは、できもしない定量的分析、定量的評価への願望はソフト
> > > ウェア開発というものを正しく理解することを妨げるということです。
> > > ソフトウェア開発を正しく理解していないから、生産性も向上しない
> > > し、品質も向上しないのです。
> >
> > そんなことは昔から言われていることですし、開発者なら一度は
> > 誰でも思うことでしょう。何も濱井さんが改めて述べる必要はあ
> > りません。その主張を裏付ける根拠などいとも簡単に見つけるこ
> > とができるでしょう。
>
> 少なくとも、上記の点において、
> 濱井さんの主張を認められるわけですよね。
> その上で以下のことを述べられている訳です。

定量的な分析が困難であることに異議をとなえる人はいないと思
いますが。問題は困難だから放棄してしまうのか、現状用いるこ
とのできる方法を適用範囲を見極めた上で、活用するかです。濱
井さんの主張は極端に広い適用範囲を設定し、それを適切に扱え
ないという理由で一切の分析を否定するものです。こんな乱暴な
論法が許されるなら、一切の分析に対する努力は否定されるで
しょう。

> > しかし分析が必要とされる背景を考察せず、代案を示すこともな
> > しに上記のようなだれでもわかるようなことを繰り返し述べても
> > 濱井さんの主張には誰も耳を傾けないでしょう。濱井さんの主張
> > が正しいか否かはともかく、アプローチが致命的に間違っているわ
> > けです。上の錬金術云々などのようにむやみに一般化したうえで
> > 否定する例など、失礼ながら論法が幼稚です。
> 今までのスレッドをを読めば、濱井さんが代替案として
> 生産量をそのソフトウェアがどれだけ売れたか、つまり
> 売上で量ろうと提案されていることがわかります。
>
> Horiuchiさんは、濱井さんの主張される、経済活動におけるソフ
> トウェアという視点を欠いたまま、言葉尻にのみ反応してるよう
> に見受けられます。私から見れば、Horiuchiさんの方が論法が幼
> 稚に見えます。

濱井さんは「経済活動におけるソフトウェアという視点」という
体系の構築に成功していないからです。濱井さんの「売り上げを指
標にすべき」との主張に対し、それでは宣伝などの他の要因から
純粋にソフトウェア自体の価値を分離できないではないか、と述べ
たところ、価値はそもそも主観的なものであり、客観性とは相容れ
ない、と濱井さんは主張されました。もともと客観的な指標として
ソフトウェアの規模ではなく売り上げを主張されたはずです。すな
わち濱井さんの主張は私が最初に述べたように、ソフトウェアの価
値は客観的に評価分析できない、ということを言葉を変えて繰り返
し述べているだけです。

そして単にそれだけのことであれば、古来から言われていること
だ、と述べているわけです。「経済活動におけるソフトウェアとい
う視点」体系を構築するなら、現在の分析手法がなぜ必要とされて
いるのか(本当に必要なのか?などを含めて)の考察が不可欠です。
にもかかわらず何度それを促しても、既存の手法の欠点の指摘を
繰り返すだけで、その方向には論を進めないのですから、何も目新
しい議論の提出はない、と私が考えても無理からぬことではないで
しょうか?

> 客観的に見て、濱井さんの意見の方がうなずけます。
> #正しいかどうかは別として
>
> 産み出しているのは物質としてのコードではなく
> 価値としてのコードですから。

そのようなことは開発者ならだれでも主観的に共感することです。
問題はそれを客観的に定量化できるか否かであり、定量化できない
とすれば、ソフトウェア工学とはいったい何なのでしょう?

しばしば誤解されるのは定量化によりソフトの価値が主観的なもの
より低く見られるのではないか、ということです。人が常にこう述
べる時、「主観」を常に「自分の主観」に置き換えているように思
います。分析を行わず定量かもせずとも、ソフト自体や開発プロセ
ス自体は何らかの方法で誰かしらから「評価」されるわけですが、
その誰かが自分と同じ価値観を持ち、自分と同じような主観に基づ
いて評価を行うとなぜ楽観できるのでしょうか。

ソフトウェアの分析、客観的評価、定量化が真のテーマとするのは
画一的な測定項目でソフトウェアを評価する事ではなく、むしろど
のような事柄に着目すれば、より実態に近い近似ができるか、とい
うことと思います。その方向に議論が進むのであれば何も口を挟む
つもりはありませんでしたが、現状の手法の近似精度があまりにも
悪いことに絶望し、精度を高めるための議論さえ無意味とするので
あれば、いったい何が残るというのでしょうか。


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Michitaro Horiuchi / Access Co.,Ltd.
horiuchi@....jp / horiuti@....jp