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Date:  Wed, 4 Jul 2001 08:46:40 +0900
From:  ichiyama ryoichi <ichiyama@....jp>
Subject:  [XP-jp:02098] Lean Programming 前半訳 (Re:  Re: Process in H/W)
To:  extremeprogramming-jp@....jp
Message-Id:  <20010704084640.06c31128.ichiyama@....jp>
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市山です。

小野さん推薦のゴルドラトさんの本ののこり2冊もよんでみたいです。
The Goalほど厚くなさそうですし、帰りにでも探してみます。

http://www.poppendieck.com/lean.htm
のLean Programmingの前半(といってもLean Programmingに入るまえまでですが)
を訳してみました。日本語と英語どちらも不得意なのでへんなところが
多々あると思いますが指摘してくれるとありがたいです。
(パラダイムシフト以降著者自身の体験のようなのですが、
わかりにくかったので意味を取り違えているかも)

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リーンプログラミング

[この記事はSoftware Development Magazineの2001年5/6月にあるものです]

1980年代のNBCドキュメンタリーはどうだっただろう。
日本はできたのに、なんで我々はできないんだ??
私はビデオカセット工場のシステムマネージャーだった。
そして、我々のマネージメントチームはこの疑問を毎日問いかけていた。
日本の競合者は優れた製品をとっても安い値段で売っていたが、
なぜそんなことができるのか明らかにすることができなかった。
劇的な変更をするか店じまいをするかする必要があることを知っていたが、
何を変えればいいかわからなかった。

話せるかぎり、正しいことすべてやっていた。
経済的なロットサイズを決めるために最適予測手法に頼った、
工場の日々のスケジュールを出すために最新のMRP(生産要求計画)
ソフトウェアを使った。
欠陥の原因を突き止めるために、QCの結果やプロセスの変数を分析する
最新のコンピューターシステムを使った。

われわれにはいくつかの品質上の問題があった、ほとんどの注文を
果たすのにひと月かかった。
毎週、その週のために計画されたライン製品の約60%が捨てられた。
しかしこれはオーケーだった、週の残りの40%のパックアウトは
完成品在庫行きだったからだ。
通常、われわれは通常の注文を出荷するには多すぎるほどの在庫を持っていた。
しかし、特別な注文はまた別の問題だった。
部門副社長はときどき重要顧客のために特別注文を急がせに来た。

処理中のビデオカセットをある作業場から別の作業場にカートで移していた。
だからたくさんのカートがあった。
次の作業場へのカートを全部置いておくには十分な部屋はなかった、
そのため在庫をいっぱいにしたカートは置き間違えたものだ。
ときどきカセットはカートのてっぺんにつまれ、ちょくちょく床におとしたものだ。
ビデオカセットはテスティングステーションの前に積み重ねられた、そのため
プロセスが制御不能に陥ったときはいつも、とるにたらない製品を作っているんだ
ということを発見するのにしばらくかかった。
作りなおす場所がたくさんあった、出荷したものすべてがよい製品だと完全に
確信するために。

全部でプロセス中作業の在庫の価値を一ヶ月分ほどあった。
その当時は、市場からの悪い予測を素早く満たす能力の無さを自身で非難していた。
のちに実際の犯人がプロセス中の在庫であることを学んでびっくりした。
今日ほとんどのサプライチェーンの平均出荷時間はそのサプライチェーン中の
在庫の平均レベルと同じであることはよく知られている。


リーン生産方式

第二次世界大戦の終わりに、豊田自動織機製作所の創業者、豊田佐吉は
一般大衆のために車を製造することを夢見ていた、
ヘンリーフォードの30年前に見た夢のように。
高品質の自動車を作るための効率的な生産システムを築くために
大野大一をチャーターした。
そののち30年、大野はトヨタ生産システム、現在はリーン生産方式[1]として
世界中に知られている、を開発した。
大野のシステムの基本概念は徹底的な浪費の排除だった。

大野はUSの生産テクニックを研究し、ヘンリーフォードの組立ライン流れにおける
先進的働きからたくさんのことを学んだ。しかし、その組立ラインは膨大な数の同じ
車を生産した。大野は"経済的"(つまり大きい)ロットサイズのなかにある
USの製造業務形式をまねするための顧客基盤を持っていなかった。
けれども、彼はUSのスーパーマーケットにひきつけられた、
そこでは少量の各製品が棚に置かれていた、
そして買物客が製品を取り去ったとき棚は素早く充填された。
彼は工場全体に在庫"スーパーマーケット"を置くことを決定した、
そしてこの技法がプロセス中の在庫の"浪費"を劇的に下げることを見つけた。
彼はこれらの在庫スーパーマーケットを"カンバン"と名づけた。

大野は自動織機会社を自動車製造業に変換させたので、彼はすでに悪い製品を作ること
を避ける方法を知っていた。創業者豊田佐吉はほつれた糸のような欠陥を検出した
瞬間につむぎ機を止める自動切断機構を発明した。
大野はこのコンセプトを車製造に移植した、そこで、
各部分が処理された後すぐにテストされ、欠陥が検出されたらすぐにそのラインを
止める、ということを主張した。

製品流れを最大化するために標準作業表が作られたが、それは技師が机で
作ったものではなかった。
それはそのプロセスを知っている作業者によって作業現場で作られたものだった。
各部品の標準サイクル時間やカンバン棚スペースが決められワークフローは
均質化された。
製品作業者はまるでバトン(製品)を次の人に手渡すリレーチームのようだった。
ハンドオフでは100%の品質と厳密なタイミングが要求された。
もしものごとが延期してしまったら、チームメイトはお互いに
機械のセットアップや故障の回復を手伝うことを期待された。

大野のアグレッシブな浪費の排除によって迅速な製品フローと組み込まれた品質という
2つの価値がもたらされた。
自然と、大野はこれら2つの価値ができうる最高品質、最低コスト、
もっとも短い製品開発期間を導くことを発見した。


トータル・クオリティ・マネジメント

同じころ、W.エドワード・デミング博士は日本でクオリティ・マネジメント
を教えていた。
実際は、トータル・クオリティ・マネジメント(TQM)ムーブメントはリーン生産方式
から分割できなかった。
デミングの写真はトヨタの本部のロビーのなかにあり、
創業者豊田佐吉の写真より大きい。
デミングは第二次世界大戦後USで読者を見つけなかった、当時の管理者は
低品質はまさに良い仕事をしたがらない人々によって引き起こされると
考えていたからだ。
彼らはマネージャーが従業員によりよい仕事をすることを強く薦めること以外にも
品質を向上するためにできるたくさんのことがあるとは考えなかった。

デミングの基本的なメッセージは品質はマネジメントの責任であるということで、
ほぼたいてい低品質は高品質の作業をするための人々の欲求を妨げる作業者に
押しつけるシステムの結果であった。
彼は日本人の管理者にどうやって生産作業者に問題を調査するために権限委譲するか、
どうやってシステマチックにプロセスを改善するかを教えた。
彼はチームワークや長期の信頼ベースのサプライヤーとの関係が対立関係より
ずっとよいということを教えた。彼はプロセスと製品の双方の継続的改善を
行う文化を強調した。

1980年代には、デミングの14ポイント(付録1を見よ)は
事実上の全製造業の管理者によって研究された。
これらの14ポイントの間にはよくしられたマントラがある:

  品質の検査をするな
  継続的にシステムを改善せよ
  部門間の壁を壊せ
  
しかし、デミングの14ポイントのいくつかは今日でさえも革命的にみえるかもしれない、
次のようなものは:

  恐怖を取り除け
  ノルマ、数値目標、査定昇進を排除せよ
  価格ベースのビジネスを賞賛するな; トータルコストを最小化せよ
  

パラダイムシフト

リーン生産方式について初めて聞いたとき、それは大ほらだと思った。
安全ストックを捨てろ、マシンをフルに稼働させるな、
サプライヤーに日単位で配達させろ?
これは直感と反対のものだったため、当時のパラダイムに反するものだったため、
日本の製造技術は広範囲で軽視された。
TQMのコンセプトはもっと直感的だったが、それだけではわれわれの悲惨な状況から
われわれを引っ張り出すには十分ではなかった。
変化しようとやけくそになることで、われわれはリーン生産方式を試すことを決めた、
そしてついにわれわれの工場を救ったのだ。

我々の工場でリーン生産を実施するにおいての重要なステップは
日程計画を押しつけることから
日程計画を引き出すことへの注意深く計画された転換だった。
部分的な方法では行わず、工場全体でいきなり週末ごしで切り替えなくてはいけないと
決めた。
我々が工場の全員-管理者、交代勤務監督者、オペレーター-に教えるという
単純な状況を考え出した。
この状況を使うことで、作業者のチームは
カンバンカードや素早い転換方法含む彼らの領域での配置や流れをデザインした。
引き出すシステムが効果を出したので工場全体が集合体的な息吹を持ちつづけた、
しかし作業者は何をやっているかわかっていた - 
かれら自身がこの方法を開発したのだった。
最初の週のパックアウト正確度は92%だった、そこからよりよくなっていった。
特別注文も2週間で満たせるようになった、そのため副社長も注文をせかすのを
やめることができた。短い期間で1週間の在庫まで下げ、どんな注文も
同じ時間で満たすことができた。
たくさんの余計なスペースを持った、品質は決してより良くならなくなった。

リーン生産方式を実施するうえでのもっとも難しい部分は
それが要求するパラダイムシフトだ。
大きなロットサイズが高価な機械をフルに稼動させるのに必要だということ
をだれもが"知っていた"。機械を転換することは長い時間がかかり、
機械がアイドル時ごとに製造業間接費配賦率が上がることも"知っていた"。
さらに、大きな倉庫在庫は顧客が製品を注文したときに即時に出荷するのを
確実にするためには必要だった。
結局は、顧客は我々が製品をつくるのにかける月日を待ちたくなかった。

なぜリーン生産方式が実施するのにこんなにも難しいかという理由の一つは
人々が確立したよく知られた真実に疑問をもたなくてはいけないということにある、
そしてそれは簡単ではない。
他の理由としてはシステム全体を犠牲にして局所最適化を作り出すプラクティスは
理解するのに難しいというのがある、まして変更をや。
局所最適化のポイントは計測の興味を引くポイントを提供し、必然的に
計測されたものが最適化される。


シンプル・ルール

"シンプル・ルール戦略"と題せられたハーバードビジネスレビューの2001年1月の
記事で、キャサリン・アイゼンハートは賢明な会社がどのように複雑なビジネス環境で
成長するか、方向性は決めるが制限することのないシンプルルールのセットを
確立することで述べている。[2]
彼女は複雑なプロセスに従う代わりに、シンプルルールを戦略を伝えるために使う
ことが、急速に変化する市場での一瞬の機会をつかむために人々に権限を与える
最良の方法であるということを提案している。

1980年代はUS製造業における心の底からの変化のときであった、
その変化はシンプルルールのセットによって導かれた。
シンプルルールは組織のさまざまな段階でガイダンスを与え、みんなを
同じ楽譜に乗せた。
組織のさまざまな段階で人々に権限委譲した、提供されたガイダンスは
その日ごとの決定をするためのものだからだ。
シンプルルールをつかうことで、作業チームは詳細なガイダンスや
複雑なプロセスなしで継続的にプロセスや製品を改善できた。

1980年代のリーン生産方式やTQMの基本プラクティスは
10のシンプルルールにまとめられるかもしれない:

  1.浪費の排除
  2.在庫の最小化
  3.フローの最大化
  4.要求から引き出す
  5.作業者への権限委譲
  6.顧客の要求に合わせる
  7.最初に正しく行う
  8.局所最適化を避ける
  9.サプライヤーとのパートナー関係
 10.継続的改善の文化を創造する
 
これらのリーン生産方式のルールは最近20年を費やしてテストされ
証明されているものである。これらは物流、顧客サービス、ヘルスケア、金融、
建設業でさえも適応されていた。
このルールの適用はある産業から次の産業にかすかに変化したかもしれない、
しかし元になっている原則は経済のたくさんの分野での年月のテストに
基づいているのである。



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ichiyama ryoichi
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